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ムハンマド・イヤズ=ウル=ハク

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ムハンマド・イヤズ=ウル=ハク
محمد اعجاز الحق
パキスタン・ムスリム連盟ジア派英語版党首
就任
2010年2月
前任者設立
宗教問題・宗教間調和省英語版大臣
任期
2004年1月11日  2007年11月26日
大統領パルヴェーズ・ムシャラフ
首相ショーカット・アジーズ
後任者ハーミド・サイード・カズミ英語版
マイノリティ省英語版大臣
任期
2004年1月11日  2007年11月26日
大統領パルヴェーズ・ムシャラフ
首相ショーカット・アジーズ
後任者シャーバズ・バッティ英語版
パキスタン在外パキスタン人・人材育成省英語版大臣
任期
1997年  1999年
大統領グラーム・イスハーク・ハーン
首相ナワーズ・シャリーフ
国民議会議員
就任
2024年2月29日
選挙区NA-163 Bahawalnagar-IV
任期
2013年6月1日  2018年5月31日
選挙区NA-191 (Bahawalnagar-IV)
任期
2002年11月18日  2007年11月18日
選挙区NA-191 (Bahawalnagar-IV)
任期
1990年11月3年  1999年10月12日
選挙区NA-39 Rawalpindi-IV
個人情報
生誕 (1952-02-20) 1952年2月20日(73歳)
パキスタンの旗 パキスタン 北西辺境州 ペシャーワル
国籍パキスタン
政党パキスタン・ムスリム連盟ジア派英語版 (2002–present)
協力政党パキスタン・ムスリム連盟カーイデ・アーザム派 (2002–2008)
パキスタン・ムスリム連盟ナワーズ・シャリーフ派 (1993–2002)
パキスタン民主連盟 (1988–1993)
ムハンマド・ジア=ウル=ハク
シャフィーク・ジア英語版
出身校南イリノイ大学

ムハンマド・イヤズ=ウル=ハク (ウルドゥー語: محمد اعجاز الحق1952年2月20日 - ) は、パキスタンの政治家。パキスタン・ムスリム連盟ジア派英語版党首。ムハンマド・ジア=ウル=ハクの息子にあたる。

第2次ナワーズ・シャリーフ内閣(1997年 - 1999年)下ではパキスタン在外パキスタン人・人材育成省英語版大臣を[1]パルヴェーズ・ムシャラフ内閣(2004年 - 2007年)では宗教問題・宗教間調和省英語版大臣、マイノリティ省英語版大臣を務めた。

南イリノイ大学カーボンデール校卒業後、銀行家として働いた後、1988年に政界入りした。しかし、同年父であるムハンマド・ジア=ウル=ハクが事故死(ムハンマド・ジア=ウル=ハクの死)、ジアの独裁政権は終わりを告げる。

その後、1990年11月から1999年、2002年11月から2007年11月、2013年6月から2018年5月まで国民議会議員を務めた。

1952年2月20日ペシャワールで生まれる。父親はムハンマド・ジア=ウル=ハクジャランダル生まれ)、母親はシャフィーク・ジア英語版(ウガンダ生まれ)[2][3][4][5][6]

その後、アメリカ合衆国南イリノイ大学カーボンデール校に留学。経営学を学んだ[7]。その後、バーレーンにあるバンク・オブ・アメリカ支店で銀行員として、1990年までの10年間働いた。

政界において

父ジア=ウル=ハクが事故死(ムハンマド・ジア=ウル=ハクの死)した1988年、イヤズは政界入りした[7]

イヤズは、1990年パキスタン総選挙英語版で、選挙区「NA-39 Rawalpindi-IV」および「NA-72 Toba Tek Singh-II」から、イスラミ・ジャムホーリ・イッテハド英語版(IJI)所属議員として初当選、パキスタン民主連盟(PDA)候補を破った[8]。尚、2012年に最高裁判所英語版は、1990年総選挙で選挙操作が行われたと宣言している[9]

イヤズはその後1993年パキスタン総選挙英語版ではパキスタン・ムスリム連盟ナワーズ・シャリーフ派議所属議員として選挙区「NA-54 Rawalpindi-IV」でパキスタン人民党(PPP)候補を破り、再選した[10]

しかし、翌年1994年に同党所属議員らと共にヤイル・ラーワルピンディー収容所英語版に収監される[11]

出所後、1997年パキスタン総選挙英語版パキスタン・ムスリム連盟ナワーズ・シャリーフ派議所属議員として出馬。選挙区「NA-54 Rawalpindi-IV」でPPP候補を破り勝利した[10]。選挙後、パキスタン在外パキスタン人・人材育成省英語版大臣に任命され、第2次ナワズ・シャリフ内閣(1997年 - 1999年)から、1999年パキスタンクーデター英語版でシャリフ政権が打倒されるまで務めた[3]

その後ナワーズ・シャリーフと対立。独立し、パキスタン・ムスリム連盟ジア派英語版を結成した[3]

2002年パキスタン総選挙英語版にも出馬。選挙区「NA-191 Bahawalnagar-IV」にパキスタン・ムスリム連盟ジア派英語版所属議員として出馬し、PPP候補を破り、3年ぶりに黒海入りとなった[3]

パキスタン・ムスリム連盟ジア派英語版パキスタン・ムスリム連盟カーイデ・アーザム派連立政権を結成。パルヴェーズ・ムシャラフ内閣下で宗教問題・宗教間調和省英語版大臣に任命される[12][13][3]

2008年パキスタン総選挙英語版にもパキスタン・ムスリム連盟カーイデ・アーザム派支援議員として出馬。しかし、選挙区「NA-191 Bahawalnagar-IV」で敗北する[3]。敗北により、イヤズは2008年、パキスタン・ムスリム連盟カーイデ・アーザム派との協力関係を打ち切る[3][14][10]

2012年、イヤズはパキスタン・ムスリム連盟ナワーズ・シャリーフ派に加入し[13]、選挙区「NA-191 Bahawalnagar-IV」で勝負を行うと報じられた[12]。しかし、結局2013年の総選挙になっても、イヤズはナワーズ・シャリーフ派に加盟しなかった。ただ、協力関係は結んだ[3]

2013年パキスタン総選挙英語版にも、2挙区に出馬。選挙区「NA-190 Bahawalnagar-III」ではナワーズ・シャリーフ派に敗北、選挙区「NA-191 Bahahwalnagar-IV」では勝利し、再び国民議会入りする[15][16][17]

2018年パキスタン総選挙英語版に出馬。選挙区「NA-163 Bahawalnagar-IV」で、ナワーズ・シャリーフ派の候補ヌールル・ハサン・タンヴィル英語版と戦い、イヤズは72,461票を得たものの、結果敗れた[18]

2023年3月19日、イヤズはイムラン・カーン元首相およびパキスタン正義運動(PTI)議長と会談した。それに対して、パキスタン・ムスリム連盟ジア派英語版をPTIに合併するのでは、そして、次の総選挙でイヤズはPTI所属議員として争うのではという噂が流れた[19][20]。2023年5月29日、イヤズはPTIとジア派が合併するといった噂をすべて否定している[21][22]

執筆活動

関連資料

脚注

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