ムーディー空軍基地
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概要
第二次世界大戦中の1940年、バルドスタ地域空港を活用してアメリカ陸軍航空隊の訓練飛行場を建設する計画が浮上したが、建設予定地に湿地帯があることが判明し、計画は頓挫した[2]。このため、代替案としてバルドスタの北東約16キロメートル(10マイル)に位置する約37平方キロメートル(9,300エーカー)の土地[注 1]が検討対象となった[2]。
陸軍省は1941年6月2日に飛行場建設を最終承認し、7月28日から建設が開始され[2]、12月6日には墜落事故で殉職したジョージ・P・ムーディー少佐にちなみ、ムーディー飛行場と命名された[3]。ムーディー飛行場には兵舎などの各種施設349棟と滑走路4本が建設され、1945年4月までの期間に計7,212名の爆撃機パイロットを養成し、第二次世界大戦終結に伴って1946年2月に休止状態に置かれた[2]。
1947年9月18日にアメリカ空軍が誕生すると、ムーディー飛行場も1948年1月13日にムーディー空軍基地へ改称された[4]。1950年6月の朝鮮戦争勃発に伴って年間パイロット訓練人員目標数が引き上げられると、ムーディー空軍基地での訓練が1951年5月から再開され、9月1日に基地は航空訓練軍団管轄となって第3550訓練航空団がホストユニットとして置かれた[2]。
第3550訓練航空団は1973年12月1日に解隊され、代わって第38飛行訓練航空団が編制された。1975年9月30日にはタイ王国のコラート空軍基地から第347戦術戦闘航空団が移駐、12月1日に第38飛行訓練航空団が解隊され、基地が戦術航空軍団へ移管されると第347戦術戦闘航空団がホストユニットとなった[2]。第347戦術戦闘航空団は1991年10月1日に第347戦闘航空団へ改編された[5]。
1992年の組織改編後は航空戦闘軍団管轄となり、1994年7月1日に第347戦闘航空団は第347航空団へ改編、2001年5月1日には第347救難航空団へ改編されている[5]。2000年7月31日には第479飛行訓練群が再編成され、ムーディー空軍基地でのパイロット訓練教育が再開された[4]。2006年10月1日に第23航空団が再編成されると第347救難航空団は解隊され、第23航空団が新たなホストユニットとなった[2]。
所在部隊
ムーディー空軍基地には、以下の部隊が所在している[6][7][8][9]。
- 航空戦闘軍団隷下
- 第15空軍
- 第23航空団
- 第23戦闘航空群
- 第74戦闘飛行隊 - A-10C
- 第75戦闘飛行隊 - A-10C
- 第598射爆場中隊
- 第23作戦支援中隊
- 第347救難群
- 第38救難中隊
- 第41救難飛行隊 - HH-60W
- 第71救難飛行隊 - HC-130J
- 第347作戦支援中隊
- 第23整備群
- 第23整備中隊
- 第23弾薬中隊
- 第74戦闘機世代中隊
- 第75戦闘機世代中隊
- 第41救難機世代中隊
- 第71救難機世代中隊
- 第763整備中隊
- 第23整備運用班
- 第23任務支援群
- 第23土木中隊
- 第23通信中隊
- 第23契約中隊
- 第23警備中隊
- 第23部隊支援中隊
- 第23兵站即応中隊
- 第23医療群
- 第23医療運用中隊
- 第23運用医療即応中隊
- 第23戦闘航空群
- 第93航空地上作戦航空団
- 第820基地防護群
- 第820戦闘支援中隊
- 第822基地防護中隊
- 第823基地防護中隊
- 第824基地防護中隊
- 第820基地防護群
- 第23航空団
- 空軍予備役軍団隷下
- 第10空軍
- 第442戦闘航空団
- 第476戦闘航空群
- 第76戦闘飛行隊 - A-10C
- 第76整備中隊
- 第476航空宇宙医療中隊
- 第476戦闘航空群
- 第442戦闘航空団
人口動態
2020年の国勢調査では、ムーディー空軍基地国勢調査指定地域(Census-designated place, CDP)には1,307人が居住しており、、人種構成は白人が52.8パーセント、アフリカン・アメリカンが20.0パーセント、ネイティブ・アメリカンが0.8パーセント、アジア人が4.1パーセント 、太平洋諸島系が1.5パーセント、混血5.4パーセント、ヒスパニック・ラテン系が14.8パーセント、その他の人種0.5パーセントとなっている[17]。