メアリー・リッチモンド
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メアリー・リッチモンドは南北戦争の始まった1861年8月5日にイリノイ州ベルビルに生まれた。まもなくボルチモアに移るが、両親が結核で若くして死んだため、あまり裕福でない祖母と叔母に引き取られ、成人の家族の中で孤独に育った。当時のアメリカには義務教育がなく、11歳になるまで学校に通わなかった。しかし、読書を好んでいた。 16歳で高校を卒業すると、叔母が勤めていたニューヨーク市に庶務職員として働いた。1日12時間働いたあと、速記の独学もしていた。しかし、叔母が体調を崩し、ボルチモアに戻ってからは見知らぬ土地で友人もなく「生涯の最も苦しい、そして、最も孤独な時期」を送り、栄養不良になり、衣服も貧しく、娯楽のための金ももっていない状態となった。医師からも故郷に戻るように申し渡され、彼女自身も両親と同じように結核に罹ってしまうのではと思うほどだった[3]。そのようななかで、偶然、見つけたCOS(慈善組織協会)の会計事務の仕事から、福祉へコミットする契機となり、友愛訪問として働くようになり、その後、頭角を表し、慈善を専門化すること、科学化することに尽力し、今日のソーシャルワークの礎を築いた。[1][2]