メドラロイト
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ナポレオン戦争中の1810年、メドラロイトの村内を流れる小川・タンバッハ川(de)は、バイエルン王国とロイス=ゲーラ侯国(弟系ロイス侯国、1920年以降はテューリンゲンに含まれる)の国境となった。その後140年間、この境界線は村の住民にはさしたる違いをもたらさなかった。学校が一つ、食堂が一つあるきりの、小さな集落に過ぎなかった。

1945年5月以降、テューリンゲンはソ連軍占領地域に、バイエルンはアメリカ軍占領地域となった。1949年に東西ドイツが建国されると、小さな村は二つの国家体制によって分断された。村の二つの地区を往来するには許可証が必要となった。
1952年に、東ドイツは西側との国境の管理を強化し始めた。境界線近くに住む住民は移住させられたが、その中にはメドラロイトの村民のいくらかも含まれた。1961年にベルリンの壁が建設されると、国境沿いの集落にも同様に壁が築かれるようになった。メドラロイトの壁は1966年に築かれた。村の東ドイツ側では昼夜を問わず厳しい監視が行われた。一方、西ドイツ側の壁はあたかも観光地のようになり、アメリカ人からは「リトル・ベルリン」と呼ばれるようになった。
1983年にはアメリカ合衆国の副大統領ジョージ・H・W・ブッシュがこの村を訪問した。ブッシュは「私はメドラロイトの村民である(Ich bin ein Mödlareuther!)」と挨拶したが、これはジョン・F・ケネディが1963年のベルリン訪問時に行った「私はベルリン市民である(Ich bin ein Berliner)」との演説をもじったものである[1]。
1990年6月17日、ベルリンの壁崩壊から7ヶ月遅れて、ドイツ再統一より4ヶ月早く、「メドラロイトの壁」はブルドーザーによって取り壊された。現在は壁の一部のみが記憶のために残されている。

