メーガン・ホッジ
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来歴
高校まで
アメリカ領ヴァージン諸島のセント・トーマス島生まれ。父はヴァージン諸島大学、母はジョージ・ワシントン大学でバレーボール選手、ともにバレーボールアメリカ領ヴァージン諸島代表メンバーというバレーボール一家に生まれた。3歳の時に、ノースカロライナ州ダーラムに移住した。
ホッジは12歳の時にバレーボールを始め、以降バレー一筋に突き進む[1]。高等学校はRiverside High School(4年制)に進学した。この4年間でアタック1,596本、ブロック319本、ディグ647本、サービスエース286本を記録し、ノースカロライナ州史上最高のバレーボール選手として脚光を浴びた[2]。
この間、アメリカ合衆国ユース代表およびジュニア代表に招集され、2004年にプエルトリコで開催されたNORCECA選手権ではMVPとベストアタッカーに選出されている(ノースカロライナ州出身としては初の選出)。進学時期になると、全米のバレーボール強豪校からオファーが殺到する[3][4]中、ホッジはペンシルベニア州立大学への進学を決めた[5]。
ペンシルベニア州立大学
大学在学中のハイライトは、2007年にNCAA選手権でスタンフォード大学を破り優勝したこと。同年と翌2008年には、NCAAの全米注目選手に選出されている。
プロ選手
2010年より本格的にシニア代表として国際大会に参戦し、同年10-11月の世界選手権に出場したが目立った活躍は出来なかった。2010-11シーズンはセリエA1のGSOヴィッラ・コルテーゼと契約した[6]。2011年の北中米選手権で優勝、同年のワールドカップでは最終戦の日本戦に途中出場した。2011-12シーズンにはポーランドリーグのアトム・トレフル・ソポトに移籍した。
2012年6月のワールドグランプリにおいて、アメリカ代表の一員としてチームのWGP3連覇に大きく貢献し、自らもMVP、ベストスコアラーに輝いた[7]。ロンドン五輪に出場し、銀メダルに貢献した。
2013年のパンアメリカンカップで優勝を果たし、自身もベストスパイカー賞に輝いた。2013-14シーズンは中国リーグの強豪広東恒大女子排球へ移籍し、世界クラブ選手権に出場した。
2015年、2年ぶりに代表に復帰し、同年7月のワールドグランプリで3年ぶりの優勝に貢献した。
所属チーム
- 2010-11 -
GSOヴィッラ・コルテーゼ - 2011-12 -
アトム・トレフル・ソポト - 2012-13 -
アゼルレイル・バクー - 2013-14 -
広東恒大女子排球 - 2015-16 -
イモコ・コネリアーノ - 2016-17 -
河南 - 2017-19 -
イモコ・コネリアーノ - 2020-21 -
ジェルダウ・ミナス
受賞歴
- 2012年 - ワールドグランプリ MVP、ベストスコアラー
- 2013年 - パンアメリカンカップ ベストスパイカー賞