モショエショエ2世
レソトの国王
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経歴
モショエショエはオックスフォード大学に留学後、1960年にコンスタンティン・ベレン・セーイソとして英国保護領バストランドの首長に就任し、1966年にレソトが独立を果たすとそのまま国王へ即位した。
モショエショエの政治力は強くなく、統治中に2度亡命を強いられている。独立当初、レアブア・ジョナサン首相と対立して敗れ、1970年に一時オランダへと亡命している。同年中に首相との和解が成立してモショエショエは帰国し、実権を持たない立憲君主となった。1986年、ジャスティン・レハンヤによるクーデターが成功すると、モショエショエは一時実権を回復するが、レハンヤと対立して、1990年に再びイギリスへと亡命した。レハンヤは国内にいる王太子をレツィエ3世として即位させ、11月にモショエショエは王位を剥奪された。しかしレツィエとモショエショエの関係は悪くなく、1991年にエリアス・ラマエマ軍事評議会委員によってクーデターが起き、レハンヤが追放されると、レツィエはモショエショエへの王位の返還を表明。これに反対する政府とレツィエは対立を深め、1994年にレツィエはクーデターを起こしてモショエショエへの王位の返還を求めた。このクーデターは他国の介入により解決が図られ、王権が制限される一方で王位の返還は認められ、1995年、モショエショエは再びレソト国王となった。しかし即位1年後の1996年1月15日、交通事故によりモショエショエは崩御し、王位は再びレツィエに戻った[2] 。