モスティチは、当時ブルガリアの中心地だったプレスラフのセリシュテ地区にある教会にある10世紀頃の古代ブルガリア語で書かれた碑文にその名が登場する。この碑文が書かれた墓石は1952年にスタンチョ・ヴァクリノフによって発見され、ブルガリア国立考古学博物館(英語版)に保存されている。
この碑文はモスティチの墓碑銘であり、彼がこの教会に埋葬されたことを示している。また、彼の遺骨も発見されており、身長は165cmから170cmぐらいであったと考えられている。また、この碑文は「Цѣсарь」[2] (ツァール[3])という称号に言及した最も初期の資料のひとつとして知られている。
以下碑文の内容:
| 「 |
сьде лежитъ мо-
стичь чрьгоубъɪ-
ля бъɪвъɪи при
сумеонѣ ц︢ри
и при петрѣ ц︢ри
ос(м)иѭ же десѧ-
ть лѣтъ съɪ оста-
вивъ чрьгоубъɪлъ-
ство ї вьсе їмѣн-
иѥ бъɪстъ чрьнори-
зьць ї въ томь съ-
връши жизнь своѭ.[4] |
」 |
日本語訳:
| 「 |
この場所にはツァール・シメオン1世とツァール・ペタル1世の時代にイチルグ・ボイラを務めたモスティチが眠っている。80歳で地位と財産を捨てて出家し、そのまま生涯を終えた。[5] |
」 |
南極のサウス・シェトランド諸島のラギッド島にあるモスティチの丘(英語版)は、彼の名にちなんで名付けられた。