モデスト・ブロコス
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スペイン北部、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラの芸術好きの家庭に生まれた。祖父も父親も著述家で、兄のイシドロ・ブロコス(Isidoro Brocos Gómez: 1841-1914)は彫刻家になった。ア・コルーニャの美術学校で教える兄から美術を学んだ[1]。18歳で美術学校を卒業した後、アルゼンチンに移り仕事を探したが、成功しなかった。2年後、ブラジルに移り、リオデジャネイロの穏健な共和主義の週刊雑誌「O Mequetrefe」のイラストレーターの仕事に就いた。雑誌社からの給料を学資にして、リオデジャネイロのブラジル帝国美術アカデミー(Academia Imperial de Belas Artes)に入学し、ビクトル・メイレレスやジョアン・ゼフェリーノ・ダ・コスタに学んだ[2]。2年間、リオデジャネイロで学んだ後、ヨーロッパに戻り、パリ国立高等美術学校でアンリ・ラマンに学ぶが、その内容には不満で、マドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーでも、しばらく学んだ後、1883年からローマに滞在した。故郷のア・コルーニャ市から研究員の資格を得た。
1890年までに作品を展覧会に出展し、国立美術学校(Escola Nacional de Belas Artes)に改名された、リオデジャネイロの美術学校の校長のロドルフォ・ベルナルデリ(Rodolfo Bernardelli:1852-1931)から教授に招聘された。ブラジルに帰化し、人物画の教授に就任し、その職を生涯続けた[2]。その間、故郷のサンティアゴ・デ・コンポステーラの教会の装飾の仕事をするために短期間、スペインに帰国した[1]。美術に関する著書も執筆した。
作品
- 灰色の手袋をはめた女性(1880)
- 詩人ロサリア・デ・カストロの肖像画(1880)
- redenzione di cana(1895)
- Alberto torres- 政治家(1900)
- キャッサバを料理する人々
- Olevano (1899)
- 風景画