モハンマド・レザ・ザヘディ
イランの准将 (1960-2024)
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経歴
革命防衛隊で出世
1960年11月2日にエスファハーンに生まれる[9]。イラン革命から2年後の1980年に19歳の時にイスラム革命防衛隊に入隊[9][7]。
イラン・イラク戦争中に急速に昇進し、1983年から1986年まで敵陣突破のために使われたいくつかの重要な革命防衛隊の旅団を指揮した後、1998年から第14イマーム・ホセイン師団の司令官を務め、1991年まで務めた[9][7]。
1998年にはゴドス軍司令官ガーセム・ソレイマーニーにより、ゴドス軍レバノン軍団司令官に任じられ、2002年まで務めた[7]。
革命防衛隊空軍や陸軍の司令官
2005年に短期間だがイスラム革命防衛隊空軍司令官に就任。ついで2006年から2008年までイスラム革命防衛隊陸軍司令官を3年弱ほど勤めた[9]。
2007年3月24日には、革命防衛隊の主要幹部の一人として、核開発をめぐるイラン制裁を定めた国連安全保障理事会決議1737に基づく国際連合の制裁対象者になった[10]。
ゴドス軍レバノン軍団司令官としての暗躍
2008年から再びゴドス軍のレバノン軍団司令官に就任[7]。ゴドス軍副司令官も務めた[3]。
イラン当局と、レバノンのイスラム原理主義テロ組織ヒズボラ、およびシリア情報機関との間の連絡役を務め[11]、シリア内戦中には同国の当時のアサド政権を支援していたイラン当局者の最大の大物の一人だった[9]。さらにシリア経由でヒズボラにイランの武器を輸送することにも関与した[7]。
2010年にアメリカ合衆国は、革命防衛隊ゴドス軍によるヒズボラなどのテロ組織支援に対する制裁の一環として、ザヘディを特別指定国際テロリストに指定。これによりアメリカ管轄下の彼の資産は全て凍結され、米国人は彼との取引を一切禁止された[3]。
日本においても、イラン大量破壊兵器関連計画等関係者として、財産凍結法第3条に基づく公告を受けている制裁対象者であり[12]、同法や外国為替及び外国貿易法、平成22年(2010年)9月3日外務省告示に基づき、彼の財産は凍結され、渡航は拒否され、何人も彼と財産上の取引を行うことは原則禁止される[13][14]。
2016年から2019年には、革命防衛隊の作戦担当副司令官も務めた[9]。
最期
2024年4月1日、イスラエル軍のダマスカス・イラン領事館空爆の際に副官モハンマド・ハディ・ハジ=ラヒミ准将とともに死亡した[2][5][6]。2020年1月にアメリカ軍の無人機の攻撃で殺害されたガーセム・ソレイマーニー以来の革命防衛隊大物幹部の殺害となった[15]。
革命防衛隊は4月13日に報復としてイスラエルにミサイル攻撃を実施。イスラエル政府は、ミサイルのうち99%を迎撃したが、落下したものの一つで子どもが負傷したことを発表している[16]。4月19日にイスラエル軍は報復としてイランにミサイル攻撃を実施し、イランの防空システムを攻撃した[17]。
ダーウード・アスカリが後任のレバノン軍団司令官に就任するが、彼も2026年イラン戦争でイスラエル軍に排除される運命にある[18]。