モロディの戦い

From Wikipedia, the free encyclopedia

モロディの戦い (ロシア語:Би́тва при Мóлодях)は、1572年7月から8月にかけて、ロシア・ツァーリ国クリミア・ハン国の間で行われた戦闘。モスクワの南約50kmにあるモロディ村の近くで、クリミアのデヴレト1世・ギレイ率いる12万人の軍と、ミハイル・ヴォロチンスキー公率いる約6万から7万人のロシア人およびコサック軍との間で行われた。クリミア人は前年にモスクワを焼き払ったが、今回は徹底的に敗北した。ロシア史ではイヴァン雷帝の治世における重要な戦いの一つだった。

ロシアがリヴォニア戦争に注力している間、クリミア・ハンはロシア南部国境の守りが薄くなった部分を狙っていた。三度の遠征ので、デヴレト1世ギレイはロシア南部を荒廃させ、1571年にはモスクワを略奪し放火した。1572年7月26日、大砲を装備し、イェニチェリの増援を受けたハンの大軍はセルプホフ近くのオカ川を渡り、200人のロシア軍を壊滅させ、再び略奪のためにモスクワへ進軍した。しかし、ロシア軍が新たな侵攻に備え、オカ川のすぐ向こうに新たな要塞を築いていたことまでは把握できていなかった。

戦闘

ロシア軍は2万人から7万人と推定され、ミハイル・ヴォロチンスキーの指揮下に置かれた。レプニン公が左翼を率い、右翼はオドエフスキー公が指揮した。7月30日、両軍は事前の偵察もなしにロパスニャ川付近で衝突した。戦闘は数日間続き、8月8日に山場を迎えた。近接戦闘中心で、タタール人の得意な弓術はほとんど役に立たず、戦いは主にサーベルで行われた。ロシア軍は砲兵や火縄銃も大きな効果を発揮した。戦闘はフヴォロスティニン公の動きにより終結に向かった。彼はグリャー・ゴロド(гуляй-город)の移動要塞で敵軍を迂回し、背後に潜入した。

その後

クリミア軍

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI