ヤジエセツルメント
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1959年(昭和34年)伊勢湾台風で大きな被害を受けた名古屋市南区内の低湿地帯である弥次ヱ町で劣悪な環境にある子どもたちを支援するため、名古屋大学教養部、愛知県立女子大学、日本福祉大学、愛知県立旭丘高等学校童話部の学生たちが地域で支援活動を行った。このセツルメントは、1960年(昭和35年)2月から1962年(同37年)8月までの2年半だけの活動である。仮設住宅内の養鶏所事務所を無償で借り受け、ここに保育所をつくった。保育所といっても認可は受けておらず、運営費は学生たちのカンパやささやかな後援会費で賄われていた。
背景
経緯
その後の展開
評価
影響
いずみの会の坂ちか子は、ヤジエセツルメントへの参加を通し、小児麻痺児童に対するソ連製「生ワクチン」の使用問題や、保母の解雇問題に端を発した青空保育へと関心を広げていった[8]。