ユハ・サロネン
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ヨーロッパジュニア95kg超級では1979年から2年連続3位に入った。1981年の世界選手権95kg超級では2回戦で山下泰裕に内股で敗れたものの、敗者復活戦を勝ち上がって3位になった[2]。1984年のロサンゼルスオリンピック無差別では初戦で敗れた[1]。1988年のソウルオリンピックでは準々決勝で東ドイツのヘンリー・ストールに一本負けして7位にとどまった[1]。1989年には地元ヘルシンキで開催されたヨーロッパ選手権で優勝を果たした[2]。1991年の世界選手権では準々決勝で敗れると、その後の3位決定戦でも小川直也に反則負けを喫して5位に終わった。1992年のバルセロナオリンピックでは初戦で敗れた[1]。引退後はフィンランドナショナルチームの監督として、アトランタオリンピックとシドニーオリンピックに参加した[2]。その後は出身クラブの「チカラ」で指導にあたることになった[2]。