コペンハーゲンに生まれた。父親はチェコ生まれの音楽家で、母親はデンマーク人である。1839年からデンマーク王立美術院で、ヨハン・ルートヴィッヒ・ルンドやクリストファー・エカスベアに学んだ。シャルロッテンボー宮殿で行われる展覧会に1844年に初めて出展し、その時代は歴史画を描いていた。1847年に妹の肖像画で、王立美術院のノイハウゼン賞(De Neuhausenske Præmier)を受賞した。1849年に作品がデンマーク王立絵画コレクション(後のDanish National Gallery)に買い上げられた。
「ナショナル・ロマンティシズム」(national romanticism)を推進した、美術史家、批評家のホイエン(Niels Lauritz Høyen)に影響を受けて、デンマーク民衆の姿を描くようになり、アマー島に住み、その地に暮らす人々を描き、高い評価を得た。1853年にトルバルセン賞を受賞した。収集家のハインリヒ・ヒアシュプロングもエクスナーの絵画を購入し、現在のヒアシュプロング美術館に収められている。
1857年と1858年に王立美術院に援助を受けて、イタリアのヴェネツィアなどの各都市、ドレスデン、ウィーン、スイス、パリなどを旅した。1862年にデンマークの田園詩人、ヴィンダ(Christian Winther)の著作の挿絵も描いた。
1864年に王立美術院の会員になり、1866年にスウェーデン王立美術院の会員に選ばれた。1876年から王立美術院の教授を務めた。1877年から南デンマークのファーン島(Fanø)で夏を過ごすようになり、ファーン島の人々の姿を描いた。1878年のパリ万国博覧会に出展し、1879年からシャルロッテンボー展覧会の委員に選ばれ、委員長も務めた。