ユーリー・マルーシン

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出生名 Юрий Михайлович Марусин
ユーリー・ミハイロヴィチ・マルーシン
出生名 Юрий Михайлович Марусин
生誕 (1945-12-08) 1945年12月8日
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦モロトフ州キゼルロシア語版
死没 (2022-07-27) 2022年7月27日(76歳没)
ロシアの旗 ロシア サンクトペテルブルク
学歴 レニングラード音楽院
ジャンル クラシック
職業 歌手
共同作業者 マリインスキー劇場
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ユーリー・ミハイロヴィチ・マルーシンロシア語: Юрий Михайлович Марусинラテン文字表記の例:Yurii Mikhailovich Marusin、1945年12月8日[1] - 2022年7月27日)は、ソビエト連邦ロシアテノール歌手ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国人民芸術家1983年授与)。ソビエト連邦国家賞受賞者(1985年)。

現在のペルミ地方(旧ペルミ州、1945年当時はモロトフ州)の小都市キゼルロシア語版に生まれる。普通教育の傍ら、声楽の技術習得に励み、兵役終了後の1969年レニングラード音楽院に入学、オリホフスキー教授のクラスに学ぶ。在学中の1972年には、レニングラード・マールイ劇場に招かれ活躍していた。1975年に音楽院を卒業し、翌年のエルケル・コンクール(ブダペスト)、ヴィオッティ・コンクール(ヴェルチェッリ)に出場し優勝、1978年のカティア・ポポヴァ国際音楽祭(プレヴェン)でも金賞を得ている。1977年から1978年にかけてミラノスカラ座へ研修のため派遣される。1982年アバド指揮によるヴェルディオペラシモン・ボッカネグラ』でガブリエーレ・アドルノを歌い、イタリア音楽協会から最優秀外国人歌手としてヴェルディ賞を贈られている。

1980年にキーロフ劇場(マリインスキー劇場)に招かれ、以来30年以上にわたり同劇場でソリストとして活躍し、ウィーン国立歌劇場をはじめとする世界各地の歌劇場への客演も多く行った。晩年は母校であるサンクトペテルブルク音楽院の教授職に就き後進の指導に当たった。

2022年7月27日、サンクトペテルブルクで死去[2]

主な受賞

主な録音・映像

太字は映像。

以下はフィリップス・レコードゲルギエフ指揮マリインスキー劇場(キーロフ劇場)のソリストとして録音したもの。

脚注

外部リンク(兼・参考文献)

参考文献

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