ヨハネス・ヴィーデヴェルト
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コペンハーゲンで生まれた。父親のユスト・ヴィーデヴェルト(Just Wiedewelt: 1677-1757)は王室彫刻家を務めた人物で、父親から彫刻を学び、イタリア出身の歴史画家、ヒエロニモ・ミアーニ(Hieronimo Miani: ?-1746)の弟子になった。
1745年にデンマーク王立美術院の前身となる美術学校に入学しヨハン・クリストフ・ペッツォルト(Johannes Wiedewelt: 1731-1802)に彫刻を学んだ[1][2] [3]。1750年に春には国王フレデリック5世夫妻の胸像を制作し報酬を得たとされる[4]。
1750年にパリに修行にでて、デンマーク公使館の書記官で美術収集家のヨアヒム・ヴァッサーシュレーベ(Joachim Wasserschlebe)の支援を受けて彫刻家のギヨーム・クストゥー(1716-1777)に学んだ。1754年には王室から奨学金を受けてローマで1758年まで修行し、ローマでは美術史家のヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンと親しくなった。
1758年にコペンハーゲンに戻ると1759年に宮廷彫刻家に任じられた。1761年にデンマーク王立美術院の教授に任命され、亡くなるまでその仕事を続け、1772年から1777年と1780年から1789年、1792年から1795年の間、校長を務めた。ヴィーデヴェルトが教えた有名な芸術家には画家のカスパー・ダーヴィト・フリードリヒやスイス出身の彫刻家のアレクサンダー・トリッペル(Alexander Trippel)らがいる。
1802年にコペンハーゲンで亡くなった。