ユーハン・トービアス・セルゲル
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略歴
ストックホルムで生まれた。父親はドイツのイェーナから家族と1730年代に移住してきた、彫金や宝飾品加工の職人であった[1]。ストックホルムの宮殿の装飾をする石彫の仕事で働き始め、15歳から建築家のJean Eric Rehn: 1717-1793)のもとで製図と彫塑を学び、1756年からはフランスから招かれた彫刻家のピエール・ユベール・ラルシュヴェック(Pierre Hubert L'Archevêque: 1721–1778) に学んだ。1758年にはラルシュヴェックとパリに移り、パリには7か月滞在し、アカデミーから賞を受けた。
スウェーデンに帰国し、王宮の彫刻装飾を制作した後、1761年にストックホルムのスウェーデン王立美術院から金メダルを受賞した。1767年に宮廷からの資金と芸術アカデミーから奨学金を受け、イタリア留学という長年の夢を実現した。1778年までの12年間、ローマ、ナポリで修行した。ローマではドイツの画家、ヤコブ・フィリップ・ハッケルト(1737-1807)やヨハン・ハインリヒ・フュースリー(1741-1825)らと友人になった。
1778年にスウェーデン国王グスタフ3世により、スウェーデンに呼び戻され、ラルシュヴェックの後任の宮廷彫刻家に任命された。1780年にはスウェーデン王立美術院の教授に任じられた。ストックホルムでは詩人のカール・ミカエル・ベルマン(1740-1795)らと友人となり、1783年にはグスタフ3世に随行して、9ヶ月間、イタリアを旅した。
その後は1790年代の2度の短いコペンハーゲン滞在期間を除いて、国王やスウェーデンの人々の支持を受けてストックホルムで働いた。1803年に宮廷の役職を得て、1808年には貴族の称号を得た。この時の書類に、姓がSergelと綴られ、その後は姓はSergelと綴った。
1814年にストックホルムで亡くなった。生涯正式に結婚しなかったが、家主の女性との間に息子がいて、正式に認知していた。
作品
- グスタフ3世のモニュメント(1808)
- アモルとプシュケ (1787)
スウェーデン国立美術館 - マルスとヴィーナス