スイスのバーゼルに生まれる。両親は同市の都市貴族に仕える下男下女で、家は貧しかった。1歳のとき、疫病で父と生まれたばかりの妹を亡くし、以後母の手で育てられた。13歳のときに母も病で亡くなって孤児となり、翌年わずかな遺産と周囲の援助によって、故郷から200キロ離れたバーデン大公国の首都カールスルーエのギムナジウムに入り、その後エアランゲン大学でルター派神学を修めた。卒業後10年ほど住み込みの家庭教師や代用教員などをしたのち、1791年に母校のギムナジウムに招聘されて教員となった。1808年には校長となり、さらにバーデン大公国の聖職者の要職である監督長、上院議員も兼ねた。1826年旅行中に病気によりシュヴェツィンゲンにて死去。生涯独身であった。