ヨージェフ・アティッラ
ハンガリーの詩人 (1905-1937)
From Wikipedia, the free encyclopedia
生涯
1905年にハンガリーのブダペストで生まれる。父はバナト地方のフェーレジハーズ村[2]の出身で、石鹸工場の労働者[3]、母はハンガリー大平原[4]のサバドサーッラーシュ市[5]生まれの農家出身であり、のちにブダペストで洗濯女になった。3歳で父が蒸発。14歳の時に母は死去[6]。高校在学中、17歳で初の詩集『A szépség koldusa』を発表する。高校卒業後、南ハンガリーのセゲド市のフェレンツ・ヨージェフ大学[7]に入学[8]。1925年に2作目の詩集『Nem én kiáltok』を発表するが、一部の詩の内容から大学を除籍される。その後、ウィーンに行き、それから1926年から1927年までパリに滞在、ソルボンヌで学ぶ。フランス文学を耽読し、特にフランソワ・ヴィヨンの詩に惹かれ、ハンガリー語に翻訳した。また、ヘーゲルやマルクスを読み、影響を受ける。ハンガリーに帰国後、3作目の詩集『Nincsen apám se anyám』を発表した。1930年、ハンガリー共産党に入党するが、1934年に党を除籍される。文芸誌『Szép Szó』を旗揚げするが、いつしか精神疾患にかかり、病院で精神科医から治療を受ける。1936年に最後の詩集『Nagyon fáj』を発表。1937年、ハンガリーのバラトン湖近くの村バラトンサールソーで鉄道の線路上に飛び込み自殺。
邦訳
- 『ヨージェフ・アティッラ詩集』、(原田清美訳、未知谷、2015年)