ヨーロッパ旱魃 (1540年)
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経過
新聞のインタビューでスイスの歴史学者クリスチャン・フィスターが描写したところによれば、旱魃はイタリア北部で始まり、冬だというのに7月のような暑さに見舞われた[7]。1539年10月から1540年4月上旬までは雨が1滴も降らず、その後に旱魃は北に広がった[7]。
11か月にわたり、降雨はなかったといってもよいほど少なく、気温は20世紀の標準的な値より5–7 °C高かった[7]。イングランドでは7月10日ごろから10月18日まで、ボヘミアのロウニでは5月26日から8月8日を除き10月13日まで、雨が降らなかった[8]夏の気温は多くの場所で40 °Cを上回ったと考えられている[7]。当時の記録には、暑さは「我慢の限界を超えている」とある[9]。ヨーロッパでは多くの木々が燃え、そのときに発せられた息苦しい灰が太陽の光を遮ったが、1540年の夏には雷雨は一度も報告されなかった[7]。5月の時点ですでに水は乏しいものになっており、井戸水や湧き水も干上がった[7]。水車は動かず、人々は飢え、動物たちは屠殺された[7]。7月になると燃え残った炭のような暑さに見舞われ、教会では祈りが始まり、ライン川、エルベ川、セーヌ川は干からび、足を濡らさずに横断することができるようになった[7]。水が残っていた場所では、温かい水が緑色に変色しており、死んだ魚がへたばって浮き上がっているのが確認された[7]。ボーデン湖の水位は記録的に低くなり、リンダウは実際に本土と陸続きになった[7]。まもなくすると、表面の水は完全に蒸発し、土には割れ目ができた[7]。中には、足がすっぽり入ってしまうほど幅の広い、乾いた割れ目もあった[7]。高温は12月まで続き、年末でも水温は泳ぐには少し冷たい程度だった[10]。
アルザス地方では、果物の花が2回咲き、リンダウでは、2回目のサクランボの収穫が実際に可能になるほどにまで至った[7]。ボーデン湖ではたちまち、ワインが水よりも安くなり、リモージュのワイナリーからは、炒められたブドウが収穫された[7]。このようなブドウから作られたワインはシェリーのようなものになり、人々はそれを一気に飲んだ[7]。ワインの収穫時期も、例年より数週間早かった[9]。ハン・ミュンデンからは、1540年にクヴェステンベルクのワイナリーで製造された公爵のワインがいかに素晴らしく、国外のものより優れていたかを解説したものが発見されている[11]。スイスにあるゴールディヴィル村の人々は、毎日標高にして500メートルほどの自暴自棄的な昇り降りを、ただテューン湖に残っている、樽数杯分の水を汲むためだけに繰り返した[12]。
他の異常気象との比較
文学
- Rüdiger Glaser: Klimageschichte Mitteleuropas – 1200 Jahre Wetter, Klima, Katastrophen, Darmstadt 2001, (3. Auflage 2008) S. 108