1968年2月27日、ヘスス・ピメンテル(メキシコ)の代役として、WBA・WBC世界バンタム級統一王者ファイティング原田に挑戦、判定でタイトルを奪取。桜井孝雄にダウンを奪われながらも僅差で勝利、その後もチューチョ・カスティーヨ、アラン・ラドキンと、計3度の王座防衛に成功。
1969年8月22日、4度目の防衛戦でルーベン・オリバレス(メキシコ)の強打に5回KO負け、王座から陥落した。
1971年5月30日、沼田義明の持つWBC世界ジュニアライト級王座に挑んだが、15回判定負けを喫した。
2007年に脳卒中で倒れてからは療養生活を送っていたが、2011年5月8日に死去[2]。62歳没。