ラジカ (歴史的地域)
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ラジカ(ジョージア語: ლაზიკა、ジョージア語ラテン翻字: Lazika)は、ジョージア西部の歴史的地域である。中世のエグリシ王国の地域の一つであり、リオニ川の下流域とチョロヒ川の河口の間の地域を指す。

ラジカという名称は、7世紀の匿名の著者による『アシュハルハツォイツ』(アルメニア地理書)の中で、「ラジヴィ」の名称で初めて言及されている。
コルキス、すなわちエゲリは、ポントス海の東、サルマティアの近くに位置し、イベリアおよび大アルメニアと国境を接している。エゲリは4つの地域に分かれる。マンラリ、エグレヴィキ、ラジヴィ、チャネティ(ハルディ)である。—『アシュハルハツォイツ』(アルメニア地理書)
東ローマの歴史家プロコピオスの記述によれば、ラジカの地域は完全に無人であったとされる。一方で、アガティアスはラジカの地域内にある建造物として、テレフィス要塞の名を挙げている。またラジカの地域には、陶磁器の交易地であるキトロポリアが存在していた。
6世紀後半には、ラジカに有名な城塞都市にして主教座の中心地であるペトラ要塞が建設された。
プロコピオスの記録によれば、ラジカは「ポントスが終わる」場所から始まる。そこでは三日月形の海岸線が形成され、この三日月の長さは550スタディオンに等しい。そして、その背後にある国はラズール〔ラズ人の地〕であり、そのように呼ばれている。その内陸にはスクヴィムニアとスヴァニアが続く。その国の隣、イベリア沿いには、メスヒ人が住んでいる。そこには高い山々が連なり、コーカサス山脈まで伸びている。その東にはイベリアがあり、さらにペルソアルメニアまで続いている。—カイサレイアのプロコピオス
8世紀または13世紀以降、ラジカの大部分はグリアの名前で言及される。
参考文献
- მუსხელიშვილი დ., カルトリ・ソビエト百科事典, 第6巻, 106頁, トビリシ, 1983年.
- ჯავახიშვილი ივ. თხზულებანი თორმეტ ტომად, ტ. 1, თბ., 1979;
- Lomouri, Nodar (1968). ეგრისის სამეფოს ისტორია : წარმოქმნიდან ახ. წ. V საუკუნის ბოლომდე. トビリシ: トビリシ国立大学.
- გეორგიკა II, გვ. 127