ラッキー・トンプソン
From Wikipedia, the free encyclopedia
| ラッキー・トンプソン Lucky Thompson | |
|---|---|
|
ラッキー・トンプソン(1947年) 撮影・ウィリアム・ゴットリーブ | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | Eli Thompson |
| 生誕 | 1924年6月16日 |
| 出身地 |
|
| 死没 | 2005年7月30日(81歳没) |
| ジャンル | ジャズ |
| 職業 | ミュージシャン |
| 担当楽器 | テナー・サクソフォーン、ソプラノ・サクソフォーン |
| 活動期間 | 1942年 - 1970年代 |
ラッキー・トンプソン(Lucky Thompson、1924年6月16日 - 2005年7月30日)[1]は、アメリカのジャズ・テナー・サクソフォーンおよびソプラノ・サクソフォーン奏者。
1960年代初頭にジョン・コルトレーンがソプラノ・サックスをジャズに持ち込んだと言われるが、それ以前からトンプソンとスティーヴ・レイシーはソプラノを使用していた[2][3]。
キャリア
ライオネル・ハンプトンや、ドン・レッドマン、ビリー・エクスタイン(ディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカーも在籍)、ラッキー・ミリンダー、カウント・ベイシーの楽団で共に演奏した[1]。
R&Bバンドで鍛え、ケニー・クラーク、マイルス・デイヴィス、ガレスピー、ミルト・ジャクソンとともにビバップ、ハード・バップで地歩を固めた。ベン・ラトリフは、トンプソンが「スウィング時代とビバップの懸け橋になり、アブストラクトなハーモニーの洗練されたアプローチでドン・バイアス、コールマン・ホーキンスから一歩前進し、チャーリー・パーカーの圧倒的な影響力に対抗した」と書いた[1]。
1950年代中期にスタン・ケントンのアルバム『Cuban Fire!』などでサイドマンとして演奏しながら、リーダー作品も残した。パーカーとは1946年のダイアル・レコードにおける二度のセッションで共演し、デイヴィスの1954年の復活作『ウォーキン』でも吹いている[1][4]。ABC、プレスティッジではリーダー作品を、サヴォイではリーダーのミルト・ジャクソンをサイドマンとして支え録音した。
音楽産業に批判的で[1]、プロモーターやプロデューサー、レコード会社を「寄生虫」「ハゲワシ」と呼んだ[4]。パリへと移住し、1957年から1962年までにいくつかの録音を残した[1]。この時期にソプラノ・サックスを始めている[4]。いったんニューヨークに戻った後、1968年から1970年にかけては、スイス・ローザンヌ地方に居を構えている[1]。アルバム『A Lucky Songbook in Europe』などを録音。1973年から1974年にはダートマス大学で教え、完全に音楽ビジネスから消える[1]。