ラファエレ・カラーチェ
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楽器製作者アントニオ・カラーチェ(Antonio Calace、1828年 - 1876年)を父としてナポリに生まれる。早くから音楽家になるための訓練を受け、すぐにマンドリンの可能性を見出しマンドリン奏者となる。ナポリの王立音楽院でヴァイオリンと作曲を学び、後に作曲科を卒業したカラーチェは、音楽におけるマンドリンの地位を高め完全なものにしようと活動するようになる。そのために彼はナポリ型マンドリンとリュート・カンタービレ[注釈 1]を携えてヨーロッパや日本へ遠征し、数え切れないほど多くのコンサートを行った。このリュート・カンタービレは19世紀末にナポリの著名な弦楽器製作者の一族ヴィナッチャ家が考案したものだが、カラーチェ自身が改良を加えて完成させたといわれている。また、カラーチェはLP盤レコードの録音を3点遺しており、そこではマンドリンのヴィルトゥオーゾ、またリュート・カンタービレの比類なき奏者としての卓越した演奏を実際に聴くことが出来る。
作曲家として
カラーチェはおよそ200の楽曲を残した。マンドリンの無伴奏独奏曲をはじめ、ピアノやギターとの二重奏曲、マンドラ、ギターとの三重奏曲、「クワルテット・ロマンティコ・ア・プレットロ Quartetto romantico a plettro」と呼ばれる第1および第2マンドリン、マンドラ、ギターから編成される四重奏曲、マンドリンやリュート・カンタービレとピアノのための協奏曲等である。多くの作品はマンドリンのために書かれた作品の中でも最も技巧を要するものである。また1910年には教則本も出版している。18世紀のイタリアの著名なマンドリン奏者たちの奏法を綿密に分析し改良を加えたカラーチェの奏法論は高い賞賛を得ており、イタリアの伝統的なマンドリン奏法の発展が明白に分かるものとなっている。このようなカラーチェの奏法は、ローマ出身でブリュッセルに移住し活躍したシルヴィオ・ラニエーリ(1882年 - 1956年)や、イゼルニア出身で後にアメリカに活動の拠点を置いたヴィルトゥオーゾ、ジュゼッペ・ペッティネ(1874年 - 1966年)らのマンドリン奏法への橋渡し役と見做されている。
楽器製作者として
ラファエレと彼の兄、ニコラ・カラーチェ(Nicola Maria Calace、1859年 - 1924年)は共に、音楽家としての活動に加え、ナポリ型マンドリンの優れた楽器製作者としても知られていた。彼らは設計に改良を加え、現代のナポリ型マンドリンを完成させた。彼らが加えた改良点の中で特筆すべき点は、胴体部分を従来のものより大きくしたことと、指板を音口の上にまで長くしてマンドリンの音域を広げたことである。ニコラが1898年にアメリカに移住[注釈 2]した後、ラファエレは娘のマリア(Maria Calace、1892年 - 1967年)、息子のジュゼッペ(Giuseppe Calace、1899年 - 1968年)とともに演奏活動および工房運営を続けた。特にマリアは父に劣らぬ優秀なマンドリン奏者であった。今日カラーチェ工房はラファエレの後を継いだジュゼッペの息子であるラファエレJr(Raffaele Calace jr.、1948年 -)により経営されている。
