ラリー・コリエル
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| ラリー・コリエル Larry Coryell | |
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ラリー・コリエル(2007年) | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | Lorenz Albert Van DeLinder III |
| 生誕 | 1943年4月2日 |
| 出身地 |
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| 死没 | 2017年2月19日(73歳没) |
| ジャンル | ジャズ、フュージョン、クラシック音楽 |
| 職業 | ミュージシャン |
| 担当楽器 | エレクトリックギター、アコースティック・ギター |
| 活動期間 | 1965年 - 2017年 |
| レーベル |
ヴァンガード・レコード アリスタ・レコード アトランティック・レコード フィリップス・レコード |
| 共同作業者 |
フリー・スピリッツ ザ・イレヴンス・ハウス |
| 公式サイト |
www |
ラリー・コリエル(Larry Coryell、1943年4月2日 - 2017年2月19日[1])は、アメリカ合衆国のギタリスト。
テキサス州ガルベストン出身。
ジャズとロックの融合に早くから取り組んだ他、アコースティック・ギターを使用したジャズとクラシックの融合も試みる。
長男はブルース・ギタリストのミュラリ・コリエル、次男は[Julian Coryell B.1973]、アラニス・モリセットなどのサポート・ギタリストで、シンガーソングライターとしても活動するジュリアン・コリエル。
1965年、フリー・スピリッツというジャズ・ロック・バンドを結成、翌年にアルバム『アート・ロックの夜明け (Out Of Sight And Sound)』発表。今日では、ブラッド・スウェット&ティアーズやマイルス・デイヴィスよりも早くからジャズとロックの調和を試みたバンドとして評価されている[2]。また、1967年にはゲイリー・バートンとも共演。
1972年、ランディ・ブレッカー等と共に、ザ・イレヴンス・ハウスというフュージョン・バンドを結成。1975年までは、同バンドでの活動が中心となる。イレヴンス・ハウスとしては最後のアルバムとなる『アスペクツ』では、日野皓正と共演。
1975年、スティーヴ・カーンと共にアコースティック・ギターだけによるツアーを行い、以後1980年代中期まで、アコースティック・ギターの演奏が中心となる。1978年1月、盟友ランディ・ブレッカーと共に、チャールズ・ミンガスのレコーディングに参加。
1978年3月2日、コロムビアのニューヨーク・スタジオにて、トランペッターのマイルス・デイビスのセッションに、ベーシストのT.M.スティーヴンス、ピアニストの菊地雅章とジョージ・パヴリス、ドラマーのアル・フォスターと共に参加。この時の音源は公式に発表されていないが、2010年頃から非公式で出回っている。
1979年初頭、ステファン・グラッペリと共に、ジャンゴ・ラインハルトのトリビュート・アルバム『ヤング・ジャンゴ』(日本盤はステファン・グラッペリ名義)を制作。同年、ジョン・マクラフリンやパコ・デ・ルシアと共にアコースティック・ギター・トリオでのツアーを行うが、その後ラリーに代わってアル・ディ・メオラが加入。ラリーのリーダー・アルバム『トリビュータリーズ』(1979年)では、ジョン・スコフィールドやジョー・ベックと共に、アコースティック・ギター3本によるバトルを披露。1980年にはフューズ・ワンにも参加している。
1980年代前半には、イーゴリ・ストラヴィンスキーの三大バレエ音楽「火の鳥」、「ペトルーシュカ」、「春の祭典」、また「シェヘラザード」や「ボレロ」といったクラシック音楽の楽曲を取り上げる。1984年、山下和仁との連名で、ヴィヴァルディ作品を取り上げたアルバム『ギター・オデッセイ - 四季』発表。
1980年代中期以降は、エレクトリック/アコースティックの両面での活動を続ける。1994年には、渡辺香津美のアルバム『OYATSU』にゲスト参加。1986年にはアル・ディ・メオラとのアコースティック・ギター・デュオで来日公演もしている。
1980年代頃には一時日本に在住していたこともあり、多少の日本語は理解できるようである。また、井上陽水とも交友があり、陽水のライブではサポート・ギタリストも務めたことがある。なお、サポートで参加した1988年3月7日のサントリーホールでのライブは、翌1989年に『井上陽水ライブ'88 サントリーホール 夜のシミュレーション』のタイトルでビデオがリリースされていた(2017年現在、廃盤未DVD化)。