ラルナカ城
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| ラルナカ城 | |
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Κάστρο Λάρνακας Larnaca Castle | |
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| 概要 | |
| 建築様式 | 城塞 |
| 自治体 | ラルナカ |
| 国 |
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| 座標 | 北緯34度54分37秒 東経33度38分16秒 / 北緯34.910271度 東経33.637694度座標: 北緯34度54分37秒 東経33度38分16秒 / 北緯34.910271度 東経33.637694度 |
| 着工 | 12世紀後半(ビザンティン時代) |
| 改築 | 1382年から1398年(キプロス王国時代) |
| 技術的詳細 | |
| 構造方式 | 石造建築構造 |
ラルナカ城(ギリシア語: Κάστρο Λάρνακας,英語: Larnaca Castle)はキプロス(南キプロス・ギリシャ共和国)のラルナカにある城である[1]。街のメインストリートであるフィニコウデス・プロムナード(椰子の木通り)の南端、地中海に面して建てられている。
この地に城が初めて造られた時代は諸説があるが、ビザンティン時代の12世紀後半と言われている[2]。ジェノヴァ共和国が島で最も重要な港であったファマグスタを奪取した後、ラルナカの港はそれに代わる新たな主要港として注目されていた。キプロスがフランス系のキプロス王国の支配下になった後、1382年から1398年に掛けてビザンティン時代の城を改築[3][2]して増強し、街と港を守る機能を向上させた。オスマン帝国下の18世紀には、城の重要性が下がり廃城に近い状態であったという。18世紀初頭にこの地を訪れた探検家 Abbot Giovanni Maritiの記録によれば、『城は廃墟になっていたにもかかわらず守備隊はまだ常駐していた』とされている[3]。第一次大戦時の1914年から1918年に掛けて、ドイツ軍に占拠され軍事施設として使われた。その後、再び大英帝国軍の管轄下に戻り、1948年まで牢獄として使われ絞首台も設けられていた[2]。1955年から1964年の独立戦争ではギリシャ系キプロス軍の収容所として使われていた。
