ラルフ・ベア
アメリカの発明家
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ラルフ・ヘンリー・ベア(Ralph Henry Baer、1922年3月8日 - 2014年12月6日)は、ドイツ生まれのアメリカ人発明家。ゲーム、特にテレビゲームへの貢献で知られている[1]。2006年、家庭用ゲーム機を発明しテレビゲーム業界を生み出したとしてアメリカ国家技術賞を受賞した。
ラルフ・H・ベア | |
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当時の大統領ジョージ・W・ブッシュ(右)からアメリカ国家技術賞を授与されたベア(左) | |
| 生誕 |
1922年3月8日 |
| 死没 |
2014年12月6日(92歳没) |
| 職業 | 発明家 |
| 配偶者 | Dena Whinston (1952-2006) |
| 子供 | James, Mark, Nancy |
| 親 | James L. Baer, Lucy K. Linard |
| 公式サイト | http://www.ralphbaer.com/ |
人生
ドイツ南西部で生まれる。出生時の名前はルドルフ・ハインリッヒ・ベア(Rudolf Heinrich Baer)。ユダヤ人であり、11歳のときナチスのユダヤ人迫害が激しくなった為、通常の学校でなくユダヤ人学校に行かなければならなくなった。父はピルマゼンスの靴工場で働いていた。1938年、水晶の夜の2ヵ月前、家族と共にドイツを脱出。
アメリカでは独学で勉強しつつ、週給12ドルで工員として働いた。ニューヨークのNational Radio Instituteで勉強、1940年に卒業してラジオ修理工となった。1943年には第二次世界大戦のために軍に召集され、ロンドンの米陸軍本部の情報部門で働いた。
1949年、シカゴのAmerican Television Institute of Technologyで、テレビ工学の学士号を得た[2][3]。小さな電気医療機器会社Wappler, Inc.に技師として就職し、手術用切断機、脱毛器、低周波筋肉増強装置などを設計製作した。1951年、ニューヨークのブロンクスにあるLoral Electronicsに転職し、IBM向けの送電検知装置などを設計。1952年から1956年までTransitron, Inc.で働き、最終的に副社長にまで上りつめた。その後自らの会社を創業したが、間もなく軍需企業のSanders Associates(現在はBAEシステムズの一部)に入社し、飛行機のレーダーに関する仕事をするようになった。引退する1987年まで同社に留まった[4]。
世界初のゲーム機「ブラウンボックス」および「オデッセイ 」の発明者としてよく知られており、それによってビデオゲーム産業が誕生した[5]。1983年以降はBob PelovitzのAcsiom, LLC[6]と組み、おもちゃやゲームのアイデアを発明してはマーケティングしている[7]。2006年、手元に保管していたハードウェアの試作品と関連文書をスミソニアンに寄贈した[4]。
2014年12月6日、ニューハンプシャー州マンチェスターにて死去[9][10]。92歳没。
発明
ゲーム機「ブラウンボックス」をはじめとする試作機を作り始めたのはSanders Associatesにいた1966年のことである。1971年、マグナボックスがライセンスを取得し、1972年にオデッセイとして発売した。当時Sandersで最も高収益な事業だったが、軍需企業だったSandersの中では低く見られていた。
世界初の家庭用テレビ向けライトガン(光線銃)とゲームも開発し、オデッセイ用拡張パック『Shooting Gallery』として販売した[7]。このライトガンは家庭用ゲーム機初の周辺機器でもある。
1978年から79年にかけて、3つの人気ゲームを生み出している[11]。1978年発売の『サイモン』は電子的パターンマッチングゲームで、1970年代終盤から1980年代にかけて大人気となった[12]。翌1979年には、『Super Simon』と『Maniac』[11] を発売した。
賞
2005年、アメリカのゲーム専門チャンネル「G4」のビデオゲーム賞「Legend Award」を受賞した[13]。
2006年2月20日、Game Developers Conference(GDC)にて「Pioneer award」を受賞。2006年2月13日、「対話型ビデオゲームの創造と先駆的な開発および商業化にたいして」アメリカ国家技術賞を受賞[14]。
2008年、IEEE井深大コンシューマー・エレクトロニクス賞を受賞[15]。2008年2月27日、2008 Developers Choice Awardsの「"Pioneer" award」を受賞[1]。2010年4月1日、「発明家の殿堂」入りを果たした[16]。