ラージェーンドラ・プラサード
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カルカッタのプレジデンシー大学で同大学を卒業後に弁護士となるも、1916年に大学を退職してガンディーの不服従運動に参加。4度も投獄された経験を持っている。
戦後は全印国民会議(憲法制定議会)のメンバーに選出される。
1932年1月4日、ガンディーと共に拘束されたヴァッラブバーイー・パテールの後任として全印国民会議派長に任命される。その後1934年、1939年、1947年の3度選出される。独立前の1946年には食料農業相。
1950年1月26日、インド共和国は新憲法を発布し完全独立を宣言。これに先立ち憲法制定議会は23日に共和国初代大統領選挙を行いインド国民会議のプラサド博士を満場一致で選出した。ただし今回の選挙は臨時的なものであり、総選挙後に再び選挙を行うこととされた。また憲法制定議会は大統領選出と同時に正式な立法議会に切り替えられた。
1957年5月10日、N.N.ダース、チョードリー・ハリ・ラームを退け再選を果たした。
1958年9月27日、国賓として来日。関東地方は前日まで狩野川台風の豪雨に見舞われており、1日スケジュールが変更されるハプニングもあった。到着に当たり昭和天皇が東京国際空港まで行幸して出迎えた[1]。来日中は天皇のほか岸信介首相と会談している。京都市内も観光し大谷大学から名誉博士の称号を与えられた。