リチャード・カーゾン=ハウ (初代ハウ伯爵)
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ペン・アシュトン・カーゾン閣下(1757年 – 1797年、初代カーゾン子爵アシュトン・カーゾンの息子)と第2代ハウ女男爵ソフィア・シャーロット・カーゾン(1762年 – 1835年、初代ハウ伯爵リチャード・ハウの娘)の息子として、1796年12月11日にレスターシャーのゴップサルで生まれた[2]。
1820年3月21日に父方の祖父が死去すると、カーゾン子爵位を継承した[2]。1821年7月7日に国王ジョージ4世の認可状を受けて母の旧姓「ハウ」を姓に加え[2][3]、15日に連合王国貴族であるハウ伯爵に叙された[2][4]。
1829年11月20日に国王ジョージ4世の寝室侍従に任命され、1830年7月17日までに辞任した[5][6]。1830年7月23日に王妃アデレードの宮内長官に任命されたが、第1回選挙法改正に反対票を投じたため、1832年までに解任された[2][7]。1830年にロイヤル・ゲルフ勲章ナイト・グランド・クロスを授与され[2]、1831年1月31日に枢密顧問官に任命された[8]。
1834年に国王ウィリアム4世によりホイッグ党内閣が罷免され、トーリー党が与党になった。ハウ伯爵は1834年12月26日に再び王妃アデレードの宮内長官に任命され、以降1849年12月2日にアデレードが死去するまで務めた[7]。
1835年12月3日に母が死去すると、ハウ男爵位を継承した[2]。
1870年5月12日にメイフェアのカーゾン・ハウス(Curzon House)で死去、息子ジョージ・オーガスタス・フレデリック・ルイスが爵位を継承した[2]。

