リチャード・スプルース
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ヨークシャーのハワードキャッスル近くのガンソープ(Ganthorpe)で教師の息子として生まれた。子供時代から自然科学が好きで、植物の一覧を作るのが楽しみであり、天文学にも興味をもった。16歳の1834年にガンソープ周辺で集めた植物の一覧を作った。数年かけて集め、名前を調べ、アルファベット順に配置し、403の種がふくまれていた。3年後に485種の顕花植物を含む『モルトン地区の植物一覧』をまとめ、希少な植物については、1840年に出版された、植物学者のヘンリー・ベインズ(Henry Baines)の『ヨークシャーの植物』に参考にされた。1845年にロンドン植物雑誌に23のイギリスの蘚苔類の新種について発表し、その半分は自ら発見した新種の植物であった。同年にThe Phytologistに『ヨークシャーの蘚苔類の一覧』("List of the Musci and Hepaticae of Yorkshire")を発表した。
1845年から1846年にかけて、ピレネーでの植物採集旅行を行った。1849年から、アルフレッド・ラッセル・ウォレスやヘンリー・ウォルター・ベイツらのアマゾンの探検者の後を受けて、14年間にわたって、アマゾンやアンデスの探検、植物収集を行い、30,000種以上の植物を集めた。帰国後、『アマゾンと、ペルー、エクアドルのアンデス山脈の蘚苔類』("Hepaticae of the Amazon and the Andes of Peru and Ecuador")を執筆した[2]。
1852年にアマゾン川流域のキントラノオ科のつる植物「バニステリオプシス・カーピ」(Banisteriopsis caapi)について記載した。これはアマゾン西部の先住民族の向精神性の飲料、アヤワスカの主原料である。1860年の25番目の論文の"On the Mountains of Llanganati in the Eastern Cordillera of the Quitonian Andes"はアンデス山脈のエクアドルの領域の貴重な情報源となり、エドワード・ブルックス(Edwards Cranston Brooks)やジョージ・ディオット(George Miller Dyott)らの「リャンガナテスの秘宝」を探す探険家たちはこの論文を参考にした[3]。
1866年に王立地理学会のフェローに選ばれた。
