リチャード・フィッツアラン (第8代アランデル伯)

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在位 1289年 - 1302年
出生 (1267-02-03) 1267年2月3日
死去 (1302-03-09) 1302年3月9日(35歳没)
埋葬 イングランド王国の旗 イングランド王国シュロップシャー、ホーモンド修道院
リチャード・フィッツアラン
Richard Fitzalan
第8代アランデル伯
リチャード・フィッツアランの紋章:赤字に金のライオン・ランパント。元はオービニー家アランデル伯の紋章であったが、フィッツアラン家が継承した。
在位 1289年 - 1302年

出生 (1267-02-03) 1267年2月3日
死去 (1302-03-09) 1302年3月9日(35歳没)
埋葬 イングランド王国の旗 イングランド王国シュロップシャー、ホーモンド修道院
配偶者 アリーチェ・ディ・サルッツォ
子女 エドマンド
ジョン
アリス
マーガレット
エレノア
家名 フィッツアラン家
父親 第7代アランデル伯ジョン・フィッツアラン
母親 イザベラ・モーティマー
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第8代(初代)アランデル伯[注釈 1]リチャード・フィッツアラン(Richard Fitzalan, 8th (1st) Earl of Arundel, 1267年2月3日 - 1302年3月9日)は、イングランド貴族、軍人。

リチャードは第7代アランデル伯ジョン・フィッツアランと、初代ウィグモア男爵ロジャー・モーティマーとモード・ド・ブローズの娘イザベラ・モーティマーの息子である。父方の祖父母は第6代アランデル伯ジョン・フィッツアラン[2]とモード・ル・ボティラーである。

リチャードはウェールズ辺境地方のクランおよびオスウェストリーの領主であった。1289年にアランデル伯に叙せられた[3]。また、1289年にイングランド王エドワード1世により騎士とされた。

ウェールズ、ガスコーニュ、スコットランドにおける戦い

1288年から1294年にかけてウェールズ戦争に従軍し、ウェールズのカステル・イ・ベーレ城(現在のタウィン近郊)がマドッグ・アプ・ルウェリンに包囲された際に活躍した。包囲を解かせるために派遣された軍を指揮したほか、ウェールズにおける数々の戦いにも参加した。1295年から1297年にかけてはガスコーニュ、さらに1298年から1300年にかけてはスコットランドの戦いにも参加した。

結婚と子女

リチャードは1285年より前に、イタリアにおいてサルッツォ侯トンマーゾ1世の娘アリス・ディ・サルッツォ(アリーチェ・ディ・サルッツォ)と結婚し[4]、以下の子女が生まれた。

  • エドマンド(1285年 - 1326年) - 第9代アランデル伯
  • ジョン - 聖職者
  • アリス - 第3代セグレイヴ領主スティーブン・ド・セグレイヴと結婚
  • マーガレット - ウィリアム・ル・ボティラー(バトラー)と結婚
  • エレノア(1284年頃 - 1328年) - 初代パーシー男爵ヘンリー・パーシーと結婚

埋葬

リチャードとその母イザベラは、フィッツアラン家と長年深い関わりのあるホーモンド修道院に一緒に埋葬されている。

注釈

脚注

参考文献

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