リチャード・ボズウェル・フィン
アメリカ合衆国の外交官
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生涯
1917年にニューヨーク州のナイアガラフォールズにて誕生[1]。ニコラス高校卒[1]。ハーバード大学で1939年に文学士号を取得[1]、1942年に法学士号を取得[1]。ニューヨーク州において弁護士登録[1]。1942年から1946年までアメリカ海軍に所属し海外任務に従事[1]。1946年から1947年まで法律顧問として極東委員会に関与し[1]、日本国憲法の草案作成の面でダグラス・マッカーサーを支援した[2]。
1947年6月10日に外交官として任命を受け[1]、1947年から1954年まで日本に駐在[2]。1947年から1949年まで東京大使館で政治担当官[3]。1949年から1950年まで横浜領事館で副領事[3]。1950年から1951年まで札幌領事館で副領事[3]。1951年から1954年まで東京大使館で政治担当官[3]。日本駐在中は朝鮮や台湾の処遇、日本国との平和条約に向けた交渉、朝鮮戦争への対応等を取り扱った[2]。
1954年から1956年2月までワシントンD.C.で国務省極東局北東アジア部で日本課長[3][4]、対日交渉戦術を扱った[2]。1956年2月26日から1958年まで政治担当国務副次官特別補佐官[2][5]。1959年から1963年までフランスのパリ大使館で政治担当官[6]および軍事担当官[2]。 1963年から1966年6月までヨーロッパ局ドイツ部次長[7][8]。1966年から1967年まで政策企画本部[7]。1967年から1969年まで外交職員監査部[7]。
1969年1月から1970年7月まで東アジア・太平洋局日本部長[9]。1970年から1971年5月まで駐フィリピン首席公使[2]。1971年5月から1973年まで大洋間運河交渉室特別顧問[10]としてパナマ運河条約交渉に関与[2]。
著書の日本語訳に『マッカーサーと吉田茂』[11]がある。