リック・レコード
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| リック・レコード Ric Records | |
|---|---|
| 設立 | 1959年 |
| 設立者 | ジョー・ラフィーノ |
| 解散 | 1962年 |
| 現況 | 閉鎖 |
| ジャンル | |
| 国 |
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| 本社所在地 | ルイジアナ州ニューオーリンズ |
リック・レコード(Ric Records)およびその姉妹レーベルのロン・レコード(Ron Records)は、1959年にジョー・ラフィーノによって設立されたレコード・レーベルである[1]。
リックのリリースの殆どはローカル・ヒットの域を超える成功を収めることはなかったが、このレーベルはニューオーリンズR&Bの黄金期に活動をしており、このジャンルのスタイルを定義づけたアーティストたちの多くを育てたことで名を残している。
尚、ジュウェル・レコードの傘下にもロン・レコードという名前のレーベルがあるが、これは綴りがRonn Recordsとnが二つ重なっている[2]。
ジョー・ラフィーノは、A-1ディストリビューターズで働いて音楽業界での仕事の感覚をつかんだ後[3]、ニューオーリンズのバロン・ストリート630番地に事務所を構え、自身のレーベル、リックとロンの経営に乗り出した[1]。
レーベルは彼の二人の息子の名前から命名している[1]。リックおよびロン・レコードは地元ニューオーリンズのアーティストに特化したリリースを行なった。当初はエドガー・ブランチャードがスタジオの手配を行なった他、初期のリックのセッションの責任者となった[1]。彼はその後ハロルド・バティストと交代している[1]。マック・レベナック(後のドクター・ジョン)がレーベルの社長として迎え入れられたが、実際は彼はソングライティングとプロデュースを担っている[4]。
レーベルのアーティストにはエディ・ボー、ジョニー・アダムズ[5]、レニー・カペロ、アル・ジョンソン、トミー・リッジリー、ジョー・ジョーンズらがいた。ジョーンズは1960年後半に「You Talk Too Much」がBillboard Hot 100の3位を記録し、これはレーベル唯一の大ヒットであった[1]。このレコードはニューヨークを拠点とするルーレット・レコードとの法的問題を引き起こした。というのもジョーンズがこの曲を同レーベルにも以前レコーディングしていたからである[6][7]。
姉妹レーベルのロン・レコードは、リックと同様に地元アーティストのレコードをリリースしたが、所属アーティストにはプロフェッサー・ロングヘア(地元で人気だった「Go To The Mardi Gras」などをリリース[8])、アーマ・トーマス、ボビー・ミッチェル、エディ・ラング(ジャズ・ギタリストのエディ・ラングとは別人)、マーサ・カーターなどがいた。
アーマ・トーマスは、地元ナイトクラブでトミー・リッジリーに見いだされてから一週間もしないうちにデビュー・シングル「(You Can Have My Husband But) Don't Mess With My Man」をロンにレコーディングした[1]。その後、彼女はアメリカの重要な歌手の一人として知られるようになり[9]、2007年にはルイジアナ州の音楽殿堂にも迎え入れられている[10]。
1962年にジョー・ラフィーノが死去したことにより、リックとロンは休眠状態となった[1]。ラフィーノの義弟でワン・ストップ・レコード店主のジョー・アサントがリックとロンのマスターテープを入手し、その後10年間ほどの間にレーベル音源の再発に取り組んでいる[11]。1981年8月、アサントが死去すると、テープは彼の娘ジョエル・アン・マクレガーの手に渡った[11]。レーベル音源の権利はその後ラウンダー・レコードが買収し、ジョニー・アダムズをはじめとするリック、ロン音源のコンピレーションをリリースしている[12]。