リナルド・ザンペルラ

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生誕 1932年3月14日
イタリアトリエステ
死没 2011年9月27日
イタリア・ローマ
職業 映画俳優・スタントマン
リナルド・ザンぺルラ
生誕 1932年3月14日
イタリアトリエステ
死没 2011年9月27日
イタリア・ローマ
職業 映画俳優・スタントマン
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リナルド・ザンペルラ: Rinaldo Zamperla、本名不明、1932年 - 2011年)はイタリアの映画俳優、スタントマン助監督。1950年代末から2010年代末に掛けて活動した[1]。兄はリナルドと同業者のナッツァレーノ・ザンペルラ(Nazzareno Zamperla)である。

クレジット名義は複数あり、ロナルド・ザンペルラ(Ronaldo Zamperla)、アルド・ザンペルラ(Aldo Zamperla)、レナート・ザンペルラ(Renato Zamperla)、ロナルド・パリッシュ(Ronald Parish)がある。

俳優としての特徴

1950年代末から映画に出演し、ペプラム物やマカロニ・ウエスタンのアクション要員の端役をスタントマン稼業の傍ら数多く務めたが、その殆どがクレジットされていない。当時は兵士や悪の手下のガンマン役が少なくなかった。

インターネット・ムービー・データベースによると1994年で出演履歴が途絶えている。

スタントマンとしての活動

名前がクレジットされる様になったのは『続・荒野の1ドル銀貨』(1965年)で疑斗を担当してからで、『荒野のドラゴン』(1973年)ではスタント・コーディネーター、アルジェリアで撮影されたマカロニ・ウエスタンの異色作『黄金の3兄弟』(1966年/未ソフト化)では疑斗を務め、トーマス・ハンタージェームズ・シゲタが出演していた。他のマカロニ・ウエスタンやアクション映画でもスタント・コーディネーターや疑斗を担当した。

兄のナッツァレーノとは異なり、ドゥッチョ・テッサリ監督やミケーレ・ルーポ監督、スターのジュリアーノ・ジェンマの御用達スタントマンではなく、数多くの娯楽映画監督作品に参加した。強いて言えば1980年代にはトニーノ・リッチ監督作品への起用が目立った。また、ジョン・ミリアス監督の『コナン・ザ・グレート』(1982年)のヒットを受けての亜流であるリッチ監督の『怒りの戦士/グレート・トア』(1983年/未/ビデオ)では端役出演の傍ら殺陣を担当した。

2005年にはスウェーデンの監督であるラッセ・ハルストレムの『カサノバ』にもスタントとして抜擢された。

助監督としての活動

マカロニ・ウエスタン末期の頃の1970年代末に『帰って来た上海ジョー』(1975年/未ソフト化)、『アパッチの女』(1976年/未ソフト化)で助監督を務めた。

主な出演作品

脚注

外部リンク

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