リンク・バブカ
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バブカの両親はチェコスロバキアのボヘミア地方の出身である。バブカは、ワイオミング州出身であるが12歳のときに家族とともに、カリフォルニア州のサンフランシスコ郊外のパロアルトに移住。パロアルト・ハイスクール時代は、アメリカンフットボール、バスケットボール、野球そして陸上競技で学校のスターであった。1954年にハイスクールを卒業後、自宅近くのメンロカレッジに進学。ここでの活躍ぶりに目が留まり、複数のスポーツでの勧誘を受け南カリフォルニア大学(USC)へ進学する。USCではひざをけがしたことからアメリカンフットボールとバスケットボールをあきらめざるを得なかったが、円盤投の選手として世界のトップ選手へと成長していった。
バブカは、ローマオリンピック直前の1960年8月12日に、ポーランドのエドムンド・ピオントコフスキの世界記録59m91に並ぶ世界タイ記録を樹立。オリンピックの決勝では、バブカは1投目に58m02を投げトップに立ったが、5投目に同じアメリカのアル・オーターが59m18を投げ逆転。このまま競技は終了し、バブカは銀メダルを獲得した。
ローマオリンピックの後もバブカは世界のトップ選手であり続けたが、再びオリンピックに出場することはできず、1969年に現役を引退した。一方で、金メダルを獲得したオーターは、1968年メキシコシティーオリンピックまで、オリンピック4連勝を果たしている。