フランクフルトでベルンハルト・ゼクレスに、ミュンヘンでハインリヒ・シュヴァルツとルドルフ・ルイに師事した。1908年に修業後もミュンヘンにとどまった。いかにも中立的な名称(「~のための音楽」)を好む傾向ゆえに、第一次世界大戦後の「新即物主義」の先駆者と見做されているが、作品はおそろしく表現力に富んだ後期ロマン派の音楽語法で作曲されており、むしろ表現主義音楽の先駆者と呼ぶに相応しい。
父が枢密院顧問官であったことから、初期作品の上演が経済的に可能であった。当初は無理解に遭いながらも、《管弦楽のための音楽》のヴォルムス初演(1912年)が重大な突破口となった。唯一の歌劇《最初の人間たち(Die ersten Menschen)[1]》は、第一次大戦勃発の直前に脱稿されたが、フランクフルトにおける世界初演は、作曲者が東部戦線で銃弾に倒れてから5年後のことであった(ロシア兵の銃撃に遭い、脳を撃ち抜かれて即死であったという)。
第一次世界大戦で早世したうえ、1945年にヴォルムスの旧宅が第二次世界大戦の空襲で焼失したことも災いし、現存する作品は極めて少ない。