ルディ・ペンバートン
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス |
| 生年月日 | 1969年12月17日(55歳) |
| 身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 190 lb =約86.2 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 外野手 |
| プロ入り | 1987年 アマチュア・フリーエージェントとしてデトロイト・タイガースと契約 |
| 初出場 |
MLB / 1995年4月26日 NPB / 1997年7月15日 KBO / 2002年 CPBL / 2006年4月29日 |
| 最終出場 |
MLB / 1997年6月2日 NPB / 1998年10月26日 KBO / 2002年 CPBL / 2006年5月28日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ルディ・ヘクター・ペンバートン・ペレス(Rudy Héctor Pemberton Pérez, 1969年12月17日 - )は、ドミニカ共和国・サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス出身の元プロ野球選手(外野手)。韓国球界での登録名は、펨버튼。台湾球界での登録名は、柏頓。
1987年にデトロイト・タイガースと契約し、1995年4月26日にメジャーデビュー。翌1996年にボストン・レッドソックスに移籍。
1997年シーズン途中にNPBの西武ライオンズに入団するが、入団直後に故障。復帰後も打率.175と成績が振るわなかったが、レギュラーシーズン最終戦で満塁本塁打を放ったのが効いたのか「鍛えれば使える」と判断され残留した。
1998年も9月まではまともな働きがなかったが、代打でこの年の初本塁打を放つと調子を挙げ、9月25日の対近鉄バファローズ戦で監督の東尾修はこの年苦手としていた相手左腕・真木将樹対策のため、ペンバートンを4番に大抜擢した。そしてこの試合で1本塁打を含む5打点の大暴れでチームを調子づかせた。その後も相手投手が左腕の際にはしばしば4番に座った。
横浜ベイスターズとの日本シリーズでは第1戦に4番を務めた。第5戦では敗色濃厚な中、五十嵐英樹相手に代打ホームランを放ち強烈な印象こそ残したが、守備の不安もありこの年オフに解雇された。
1999年はマイナーリーグ(セントルイス・カージナルス傘下のAAA級メンフィス・レッドバーズなど)、2000年から2005年まではメキシカンリーグでプレー。2002年シーズン途中には、退団したウォーレン・ニューソンの代役としてKBOの起亜タイガースと契約したが、同年限りで退団した。起亜在籍時の2002年8月20日、対三星ライオンズ戦で林昌勇から腕に死球を受けた際、激昂し審判と喧嘩したため退場を命ぜられた。2006年4月22日にCPBLの誠泰コブラズと契約するも、体調不良により5月30日に退団し、同年限りで現役引退。
その後、小林亮寛のブログにて、2010年現在メキシコでプレーしているという記事が掲載されたが、後に小林の勘違いだったことが判明し該当の記事も削除された。