ルンビニ
ネパールにある村で、釈迦の生まれたとされる地
From Wikipedia, the free encyclopedia
発掘調査
世界遺産ルンビニの概要
登録基準
ルンビニでの釈迦
仏典[要出典]に伝えられるところによれば、釈迦のこの世への現れは以下のようであったとされる。釈迦は、母親の摩耶夫人(まやふじん/ぶにん マーヤー)がお産のために実家へ里帰りする途中にルンビニ(藍毘尼) の花園で休んでいた時に夫人の脇の下より姿を現し誕生した。釈迦はこの世へ出てすぐに七歩歩いて右手で天空を指し左手で大地を指して「天上天下唯我独尊」と声を出したと言う。生後一週間で生母は亡くなり、母の妹、摩訶波闍波提(まかはじゃはだい、マハープラジャパティー )により釈迦は養育されたという。
[3]ルンビニの地名は多くの文献に記載され実在していた事は確認されたが、具体的な位置は長く忘れ去られており、ブッタを伝説上の人物とする可能性も語られていたが、1896年にインド考古調査局のアーロイス・アントン・フューラー(Alois Anton Führer)の発掘調査により、ブッタ生誕の地を証明する遺跡が数多く発見された。
まず、仏舎利塔から黄金の舎利容器から人骨が発見された。さらにマウリヤ朝第三代王で仏典にも仏教の庇護者としてしばしば名前の記載されるアショーカ王が「ブッタがこの地で生誕したのでルンビニ村の租税を軽減する。」と刻ませた石柱が発見された。この地がルンビニであり、釈迦が史実の人物であったことが証明された。
ルンビニ釈尊生誕地聖域計画

釈迦の生誕地の周囲を聖地公園として整備する「ルンビニ釈尊生誕地聖域計画」が立案され、1978年に日本の建築家丹下健三がマスタープランを作成。現在もこの計画に基づき整備が進められている。この聖地公園整備計画は、国際連合の元事務総長であり自らも仏教徒であるウ・タント(ミャンマー)の提唱により開始され、仏教の広まっている国々からさまざまな寺院、仏塔などが建設されるも建設途中や造成中の建物、未整備な土地が多い。2011年にはネパールで首相を務めたプラチャンダがルンビニ開発国家指導委員会を設立して国連と中華人民共和国のアジア太平洋交流協力財団の支援を受けてルンビニ特別開発区構想を推し進めた[4][5]。
聖域内には世界各国の国名を名乗る寺院が林立している。「中華寺」「ドイツ寺」「ミャンマー寺」などである。ただし、必ずしも、その国名が、国家または当該国の仏教界を代表している訳ではない。「日本寺・世界平和仏舎利塔」も存在するが、運営主体は日蓮宗系の日本山妙法寺大僧伽である。
交通
ネパール-インド国境の街スノウリに近く、乗合バスやリクシャーなどで15分程の隣町のバイラワでバスを乗り継ぎ1時間程度。 カトマンズからバイラワへは、航空機または長距離バスでアクセスできる。チトワンからはバスで4時間半で、バスの便は始終発着しているため、降車と共に同じバス停で乗り継ぐことができる[6]。
聖域はかなり広大なので、一巡するにはリクシャーをチャーターするのが一般的だが、レンタサイクルもある。聖域周囲には高級ホテルから安価なゲストハウスまで宿泊施設があるが、シーズンには人気のある宿は満室近くなることが多いが、多くの宿は空き室が多い。また宿泊できる寺院も多い。周辺は蚊が多い。
周辺は治安は悪くないものの、交通の便は航空便が少ないなどよくはなく、主な移動手段はバスになる。観光客や巡礼者のための設備は宿・レストランとも十分であるが、高級な設備は少ない。また周辺地域住民はヒンドゥー教徒が一般的で、公園も開発途上であり、観光資源として活用されているとは言いがたい。2008年ころの政情不安時にはゲリラが各地に出没するためルンビニ方面へ行くバスが出ていないこともあった。飛行機は飛んでいたものの飛行場からホテルまではバス、タクシーはゲリラの標的にされるため、リクシャ―で2時間かけて行くしかなかったが、現在はそういうことはない[7]。
マーヤー・デーヴィー寺院の位置
ギャラリー
- ルンビニの菩提樹と池
- ブッダの生まれた場所
- アショーカ王の円柱
- 永遠の平和の火
- ルンビニ・スリランカ寺
- ルンビニ・スリランカ寺
- ルンビニ・スリランカ寺の巡礼者
- ルンビニ・スリランカ寺の池に咲くスイレン
- ルンビニ・ミャンマー寺院(ゴールデンテンプル)
- ルンビニ・カンボジア寺
