その後、1939年にホセ・ピアヌッタ・ピタルア(José Pianetta Pitalúa)が設立したオルケスタ・ア・ヌメロ・ウノ(Orquesta A Número Uno)の音楽監督を務めることとなった。オーケストラは後にオルケスタ・デル・カリベ(Orquesta del Caribe)とも呼ばれることになる。
彼はコロンビアのカリブ海沿岸地域の音楽のリズムを熱心に学び、それらをオーケストラ音楽に適用した。探求のためにコロンビア各地へ旅行し、マリア・ラ・バハ(María La Baja)という町で「クンビアンバ」と呼ばれる催しがどのように黒人コミュニティによって開催されているかを学んだ。また、そこで砂の上で裸足で踊っていたマリア・イサベル(María Isabel)という黒人の女性の姿にインスピレーションを受け、初のヒット曲となる『Prende la Vela』を作曲した。
『Prende la Vela』がヒットしたことにより、1943年に首都ボゴタのナイトクラブ「エル・メトロポリタン」にワンシーズン通して演奏するよう招待された。この頃の彼のヒット曲としては前述のほか『Carmen de Bolívar』『Caprichito』『Pachito eché』などが挙げられる。
1946年~1954年
1946年には初めてコロンビア以外の国で契約を結び、アルゼンチンのブエノスアイレスにて6か月間演奏活動を行った。ブエノスアイレスでは22人からなるオーケストラを編成し、RCAビクターにて約60曲ものレコーディングを行った。その中の代表曲は『Danza Negra』『Caprichito』『Cuca』『Cumbia Colombiana』『El Porro Buenos Aires』など。
1948年にはコロンビア北西部、アンティオキア県の都市メデジンに移り、ホテル・ヌティバラ(Hotel Nutibara)およびカンペストレ・クラブ(Campestre Club)と契約して演奏を行った。また、メデジンのラジオ局「ラ・ヴォス・デ・アンティオキア(La Voz de Antioquia)」の音楽監督も務めた。
この時期の共演者としてはペドロ・バルガス(Pedro Vargas)、エヴァ・ガルザ(Eva Garza)、ミゲリート・バルデス(Miguelito Valdés)、アヴェリーナ・ガルシア(Avelina García)、トニャ・ラ・ネグラ(Toña La Negra)など。また、メデジンでレコーディングを行った曲としては『Salsipuedes』などがある。