ルートヴィヒ・フォン・ランゲンマンテル
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現在のバイエルン州のケルハイム(Kelheim)で生まれた。アウクスブルクの貴族の家柄で、父親のオットー・フォン・ランゲンマンテル(Otto von Langenmantel: 1816–1875)は有名な建築家であった。母方の祖父アルブレヒト・アダム(1786-1862)は戦場の場面を描くのが得意な画家で、母方の叔父たちの多くが画家として有名であった[1][2]。
子供時代に祖父、アルブレヒト・アダムの工房で絵を描き始め、1869年にミュンヘン美術院に入学し、1874年にカール・フォン・ピロティの学生になった。1874年にはアンハルト=デッサウ公爵の娘の絵の教師に選ばれた。
歴史画や風俗画を描いて、画家として知られるようになり、1876年にはフランスの化学者ラヴォアジエの逮捕を題材に描き、1879年には15世紀の宗教家サヴォナローラが題材の作品を描いた。
1885年にバイエルン王ルートヴィヒ2世からの注文でヘレンキームゼー城のスープラポルト(扉上の小壁部)の装飾のために、ネールウィンデンの戦いなど場面を描いた。
1886年から1919年の間はミュンヘンンの王立工芸学校(Königlichen Kunstgewerbeschule München)の教授を務めた[3]。ランゲンマンテルが教えた学生には、ハインリヒ・シュトリーフラー(Heinrich Strieffler: 1872-1949)がいる。この時期、ルクセンブルク大公宮の天井画も描いた[4]。
1922年にミュンヘンで亡くなった。娘のエルマ・フォン・ランゲンマンテル(Erna von Langenmantel-Reitzenstein: 1890–1968)は彫刻家、工芸家として知られている[5]。