パリでイギリスの貿易商の息子に生まれたシスレーはパリで絵の修行し印象派の画家たちと友人になっていたが、イギリス国籍であったので、1870年からの普仏戦争には参加せず、プロイセン軍によるパリ包囲占領の初期にパリを脱出し、1870年の秋にパリの西に位置するルーヴシエンヌに初めて滞在した。
晴れた冬の日のベルサイユ近郊のルーヴシエンヌの町を描いている[1]。空は薄い靄で覆わ、前景は雪に覆われた地面で、右側には茂み、落葉した庭木があり、左側に柵とまだ葉を残す木が描かれている。背景には民家の屋根と、遠くに、ルーヴシエンヌのサン・マルタン・エ・サン・ブレーズ教会(Église Saint-Martin-et-Saint-Blaise de Louveciennes)が見える。左下には署名と日付がある。
この作品の所在は、1902年5月3日まで不明になっていたが、パリのオークションで画商のポール・デュラン=リュエルが購入し、1903年にロシアの実業家のイワン・モロゾフに売却した[2]。
十月革命後、モロゾフのコレクションは国有化され、1923年以来、モスクワ国立近代西洋美術館(Государственный музей нового западного искусства)に収蔵され、1948年に国立近代西洋美術館は解散し、プーシキン美術館に移管された[3]。