レオノール・デ・カスティーリャ (1244没)
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出生
1200年
| レオノール・デ・カスティーリャ Leonor de Castilla | |
|---|---|
| アラゴン王妃 | |
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| 在位 | 1221年 - 1230年 |
| 出生 |
1200年 |
| 死去 |
1244年 |
| 埋葬 |
|
| 結婚 | 1221年 アグレダ(1230年離婚) |
| 配偶者 | ハイメ1世 |
| 子女 | アルフォンソ |
| 家名 | ボルゴーニャ家 |
| 父親 | カスティーリャ王アルフォンソ8世 |
| 母親 | エレノア・オブ・イングランド |
| 宗教 | キリスト教カトリック教会 |

レオノール・デ・カスティーリャ(スペイン語:Leonor de Castilla, 1200年[1][2] - 1244年)は、アラゴン王ハイメ1世の最初の妃。
レオノールはカスティーリャ王アルフォンソ8世とエレノア・オブ・イングランドの娘である。1221年、アグレダにおいてアラゴン王ハイメ1世と結婚した。この時レオノールは19歳、ハイメ1世は14歳であった[2]。その後6年間、ハイメ1世は貴族の反乱に直面し、最終的に1227年3月31日のアルカラの和議により、貴族とハイメ1世は合意に達した。2人の間には1男アルフォンソが生まれ[3]、アルフォンソはコンスタンス・ド・ベアルンと結婚した[4]。レオノールとハイメ1世の結婚は1230年に解消され、レオノールの再婚の禁止が合意された。息子アルフォンソは嫡出子であると宣言されたが、ハイメ1世に先立って死去した[5]。
離婚後、レオノールは修道女となった。サンタ・マリア・デ・ラス・ウエルガス王立修道院に向かい、カスティーリャ女王位を退位した後に同修道院に引退していた長姉ベレンゲラおよびそこで修道女となって久しい妹コンスタンスとともに暮らした。妹コンスタンスは1243年に、レオノールは1244年に、そしてベレンゲラは1246年に同修道院にて死去し[6]、三人とも同修道院に埋葬された。
