レオポール・セダール・サンゴール
セネガルの政治家
From Wikipedia, the free encyclopedia
生涯
サンゴールは、セネガル(当時はフランス領西アフリカの一部)のティエス州ンブール県ジョアル村で生まれた(セレール族、カトリック教徒)。1928年にフランスに渡り、名門リセ・ルイ=ル=グランの進学準備学級(グランゼコール受験科)で、後のフランス大統領ジョルジュ・ポンピドゥーらと共に学んだ。高等師範学校の入学試験に挑戦たが、2度不合格となり、そのため、彼はパリ大学(ソルボンヌ)に進学し、1935年にアフリカ人として初めてフランスの「アグレガシオン(文法特級教員資格)」を取得した。フランス留学中に起こった第二次世界大戦では、フランス軍に志願して入隊した。捕虜を経験した後、釈放後もレジスタンスと協力した。
またフランス語詩人としても著名であり、サンゴールの詩は広く賞賛されるとともにサンゴールはアフリカ出身で初めてアカデミー・フランセーズ会員にもなった(1983年)。1968年にドイツ書籍協会平和賞、1975年にストルガ詩の夕べ金冠賞、1978年にチーノ・デル・ドゥーカ世界賞を受賞し、さらにセネガル国歌(「コラを弾け、バラフォンを叩け」)の歌詞も書いている。サンゴールも1930年代から1940年代にはマルティニークのエメ・セゼールらと共にネグリチュード運動を牽引した。
独立後も、サンゴールは対内的にアフリカ社会主義政策を、対外的にはモンロビア・グループの指導者として親欧米政策、親仏政策を採り、チュニジアの初代大統領のハビーブ・ブルギーバや、ニジェールの初代大統領のアマニ・ディオリなどと共にフランコフォニー国際機関(組織)の設立に尽力した。
セネガルのダカールにあるレオポール・セダール・サンゴール国際空港、レオポール・セダール・サンゴール競技場、フランスはパリのレオポール・セダール・サンゴール橋はサンゴールの名にちなんで命名されたものである。
2001年12月20日、カルヴァドス県ヴェルソンにて死去した。享年95。
主な作品
- Chants d'ombre (1945)
- Hosties noires (1948)
- Anthologie de la nouvelle poésie nègre et malgache (1948)
- Ethiopiques (1956)
- Nocturnes (1961)
- Lettres de d'hivernage (1973)
- Elégies majeures (1979)
- La poésie de l'action : conversation avec Mohamed Aziza (1980)
- Ce que je crois (1988)
栄誉
関連項目
外部リンク
- Léopold Sédar Senghor, universel (No. 182, Paroles, Alliance Française Hong Kong) (in French)
- Académie française -- Discourse of Valéry Giscard d'Estaing on his predecessor in Fauteuil 16 at the Académie.
- Biography, Bibliography (in French)
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 (独立、フランス植民地帝国) |
初代:1960 - 1980 |
次代 アブドゥ・ディウフ |
| 外交職 | ||
| 先代 オルシェグン・オバサンジョ |
西アフリカ諸国経済共同体議長 第3代:1979 - 1980 |
次代 ニャシンベ・エヤデマ |
| 先代 ウィリアム・R・トルバート |
アフリカ統一機構議長 (代行)1980 |
次代 シアカ・スティーブンス |
| 前任 アントワーヌ・ド・レヴィ・ミルポワー |
アカデミー・フランセーズ 席次16 第18代:1983年 - 2001年 |
後任 ヴァレリー・ジスカール・デスタン |