レギナ (バンド)
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| レギナ Regina | |
|---|---|
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レギナのボーカル、ダヴォル・エブネル(2009年) | |
| 基本情報 | |
| 出身地 |
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| ジャンル | ポップ・ロック |
| 活動期間 |
1990年 - 2000年 2006年 - |
| メンバー |
アレクサンダル・チョヴィッチ(ギター) ボヤン・ミリチェヴィッチ(ドラム) |
| 旧メンバー |
ダヴォル・エブネル(ボーカル) デニス・チャブリッチ(ベース) |
レギナ(ボスニア語・クロアチア語・セルビア語:Regina)は、ユーゴスラビア連邦、ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国(現・ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエヴォで1990年に結成された音楽バンドである。
結成当時、グループにはボーカルがおらず、新聞に広告を載せるなどして歌い手を探していた。その後、「Konvoj」というバンドのボーカルであったダヴォル・エブネル(Davor Ebner)に出会い、3か月にわたる交渉の末、エブネルがグループに加わることで合意した[1]。
1990年、ファースト・アルバム『Regina』をリリース。当時のメンバーは、バンドの創設者であるアレクサンダル・チョヴィッチ(Aleksandar Čović、ギター)に加え、ゴラン・ルチッチ(Goran Lučić、ギター)、ボリス・ミリヤシュ(Boris Milijaš、ベース)、ボヤン・ミリヤシュ(Bojan Milijaš、キーボード)、ボヤン・ミリチェヴィッチ(Bojan Milićević、ドラム)、そしてダヴォル・エブネルで構成されていた [2]。レギナはユーゴスラビア圏全域で成功を収めた。作詞・作曲を担当するのはアレクサンダル・チョヴィッチで、彼らの楽曲はアイルランドのバンドU2の影響を受けたものであった。
1991年、セカンド・アルバム『Ljubav nije za nas』をリリースしたが、1992年にボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が起こると、メンバーはサラエヴォから別々に避難し、バンドは分裂する事になった[1]。「レギナ」としての活動は、2000年にアレクサンダル・チョヴィッチがソロ・デビューするまで、セルビアに避難したメンバーで続けられた。
2000年から2004年頃までは、アレクサンダル・チョヴィッチは「Aco Regina」の名でソロ活動し[1]、ダヴォル・エブネルはロック・バンド「Punkt」に参加した後、「ダヴォル・エブネルとGruntibugli」というユニットで活動していた[3]。
2004年、メンバーはベオグラードで再会し、現在のメンバー構成でグループを再結成した。2006年にアルバム『Sve mogu ja』をリリースし、また、2007年7月にはモンテネグロのブドヴァで開催されたローリング・ストーンズのコンサートで、サポートバンドとして演奏した[1]。
2009年、ユーロビジョン・ソング・コンテスト出場後の6月に、アルバム『Vrijeme je』をリリースしている[4]。
ユーロビジョン・ソング・コンテスト2009
2009年1月12日、ユーロビジョン・ソング・コンテストの2009年大会において、レギナはボスニア・ヘルツェゴビナ代表として楽曲「Bistra voda」(澄んだ水)で参加することが決定した[5] [6]。ロシアのモスクワで行われた同大会では、レギナは準決勝を勝ち進み、決勝戦への進出を決めた。決勝では106点を獲得し、9位であった[1]。