レスリー・モットラム From Wikipedia, the free encyclopedia フルネーム Leslie Mottram誕生日 (1951-03-05) 1951年3月5日(74歳)出身地 イングランドレスリー・モットラム個人情報フルネーム Leslie Mottram誕生日 (1951-03-05) 1951年3月5日(74歳)出身地 イングランド国際年 リーグ 役割1991年 - 1996年 FIFA登録 審判員 レスリー・モットラム(Leslie Mottram、1951年3月5日 - )は、スコットランド出身の元サッカー審判員。 イングランドのロンドンで生まれ、物心つくまえにスコットランドに移り住む[1]。大学に通いつつエアドリー・ユナイテッドに3シーズン所属した後、[1] 下位リーグにおいてセミプロレベルで10年間プレーした。[1] 大学卒業後は2年ほどエンジニアとして働いた後、教師に転じた[1]。 31歳のときに審判資格を取得し[1]、1988年8月に1級審判員[2]、1991年1月には国際審判員登録され[2]1994 FIFAワールドカップ、Euro 96などで主審を務めた[3]。 1996年にJリーグの審判技術向上のため3ヶ月の契約で招かれ日本に渡った。選手とのコミュニケーションを積極的にとり、ファールに対しては厳格な態度を見せたジャッジは高い評価を得て契約は数年ごとに延長され、最終的に2001年までJリーグにおいて審判をつとめた。通算でJ1リーグ147試合、J2リーグ15試合、ヤマザキナビスコカップ25試合において審判をつとめている。1998年から4年連続で優秀主審賞を受賞した。 引退後は2002年から2005年まで日本サッカー協会のチーフ審判インストラクターに就任した[3]。さらに2005年9月には規律委員会の委員に就任したがこれは同年限りで退任し帰国した。Jリーグに対する貢献を評価され2005年にはJリーグアウォーズ2005功労賞を受賞している。 参考文献 1 2 3 4 5 加部究 「Far East Connection 海を越えて来たフットボーラー 第18回」『サッカー批評』 双葉社、issue 21。 1 2 “Jリーグニュース J.LEAGUE NEWS No.65”. Jリーグ (2000年8月31日). 2010年2月1日閲覧。 1 2 “ピッチを去るモットラム” (日本語). ジェレミー・ウォーカーの A View From a Brit. (2001年12月16日). http://jeremy.footballjapan.jp/2001/12/post_06c0.html 2012年6月30日閲覧。 表話編歴Jリーグ最優秀主審賞1990年代 93: 高田静夫 94: ペトロヴィッチ 95: 小幡真一郎 96 ペトロヴィッチ 97: 岡田正義 98: モットラム 99: モットラム 2000年代 00: モットラム 01: モットラム 02: 岡田正義 03: 上川徹 04: 吉田寿光 05: 松村和彦 06: 上川徹 07: 岡田正義 08: 吉田寿光 09: 西村雄一 2010年代 10: 西村雄一 11: 西村雄一 12: 西村雄一 13: 西村雄一 14: 西村雄一 15: 西村雄一 16: 西村雄一 17: 西村雄一 18: 佐藤隆治 19: 西村雄一 2020年代 20: 西村雄一 21: 飯田淳平 22: 佐藤隆治 23: 中村太 24: 御厨貴文 Jリーグアウォーズ(最優秀選手賞 - JB11 - 得点王 - JBYP賞 - JFP個人賞 - J2MEP - 功労選手賞 - 最優秀監督賞 - 最優秀主審賞 - 最優秀副審賞 - JBP賞) この項目は、サッカーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル サッカー/ウィキプロジェクト サッカー/ウィキプロジェクト 女子サッカー)。表示編集 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。表示編集 Related Articles