レラティビティ・レコード

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設立 1982年
設立者 バリー・コブリン
解散 1999年(レラティビティ)
2017年(REDミュージック)
レラティビティ・レコード
Relativity Records
親会社 ソニー・ミュージックエンタテインメント
設立 1982年
設立者 バリー・コブリン
解散 1999年(レラティビティ)
2017年(REDミュージック)
現況 活動停止
販売元 REDミュージック
ジャンル 様々
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
本社所在地 ニューヨーク
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レラティビティ・レコード(Relativity Records)は、バリー・コブリンによってニューヨーク都市圏のレコード店、インポータント・レコード・ディストリビューターズ(Important Record Distributors、IRD)の一部門として設立されたアメリカのレコードレーベル[1]。IRDの販売元の名称は、後にREDディストリビューション、そしてREDミュージックと改名された。

レラティビティは幅広い音楽ジャンルを網羅した音楽をリリースしていた。ソニー・ミュージックエンタテインメントとの契約により、ヘヴィメタルヒップホップのリリースで広く知られるようになった[1]

1999年、レラティビティはスティーヴ・リフキンドのラウド・レコード(Loud Records)に吸収合併された。ラウド・レコードは、2002年にソニー・ミュージックによって閉鎖されたが、親会社であるREDディストリビューションは存続した。しかし、後にREDミュージックとしてソニーによってジ・オーチャードに吸収合併された。

レラティビティ・レコードは1985年に設立されたと伝えられてきたが[2]、創設者バリー・コービンのインポータント・レコード・ディストリビューターズの社内レーベルとして、1982年春頃に始まったという証拠が残されている。

1980年代、レラティビティ・レコードは主にヘヴィメタルパンク・ロックなどのロックに特化していた[1]。このジャンルのリリースは、レラティビティと、姉妹レーベルのコンバット・レコード(Combat Records)、そしてインエフェクト・レコード(In-Effect Records)に分割されていた。1990年の不況の後に、これらのレーベルは中心となるレラティビティ・レーベルへと統合された[2]。その年の後半、レラティビティはクリス・ライティのヴァイオレイター・レコード(Violator Records)と契約を結び、チ・アリ、ファット・ジョー、ビートナッツらを契約アーティストに加えた。その後、ソニー・ミュージックエンタテインメントが同社の株式の50%を取得[2]。1992年頃、レーベルは再編された。かつてレラティビティのアナログ・レコード店兼流通会社であったインポータント・レコード・ディストリビューターズは、レラティビティ・エンターテインメント・ディストリビューション(RED)に改名された。1994年6月より、レラティビティのレーベル制作とカナダ、ヨーロッパ、オーストラリアにおける流通は、ソニーのエピック・レコードが、日本ではソニー・ミュージック・ジャパンが担当することになった。1995年には、流通会社はREDディストリビューションにまとめられた。一方、レラティビティは1993年に、スアーヴ・レコード(Suave Records)とルースレス・レコード(Ruthless Records)という2つの地域独立系ヒップホップ・レコード・レーベルと有限責任事業組合契約を締結した[3]

1995年に創設者イージー・イーが死去した後、ルースレス・レコードでボーン・サグスン・ハーモニーが成功を収めたことにより、レラティビティは独自のレーベル部門であるモー・サグズ・レコード(Mo Thugs Records)を設立し、ライバル・グループであるウータン・クランのキラ・ビーズ(Killa Beez)やスリー・6・マフィアのヒプノタイズ・キャンプ・ポッセ(Hypnotize Camp Posse)と同様に、モー・サグズ・レコードに所属するモー・サグズのメンバーや関係者たちを擁するようになった。スリー・6・マフィアは、1996年にレラティビティのラップ・グループ、デイトン・ファミリー(The Dayton Family)のセカンド・アルバム『F.B.I.』と同時にリリースしたアルバム『Chapter 1: The End』で、同レーベルとの配給契約を獲得した。

また、1996年には、同レーベル所属のアーバン・アーティストによるヒップホップとR&Bの楽曲を集めたコンピレーション『Relativity Urban Assault』が、モー・サグズの『Family Scriptures』と同時にリリースされた。1997年、レコード売上、収益、そして雇用の減少により、レラティビティのインディーズ・レーベルとしての優位性が低下し始めた。ライティのヴァイオレイター・ブランドとの提携を解消し、チ・アリやファット・ジョーとの契約も終了したが、ビートナッツはレーベルに残留した。この年、ビートナッツ、ボーン・サグスン・ハーモニー、スリー・6・マフィアは、それぞれ『Stone Crazy』、ナンバーワン・ヒット作『Art of War』、そして『Chapter 2: World Domination』をリリースすることで、レーベルを休眠状態から救い出した。しかし、1992年の『Can I Borrow a Dollar?』、1994年の『Resurrection』でレーベルに在籍していたシカゴ出身のラッパー、コモンは、3枚目のアルバム『One Day It'll All Make Sense』(1997年)のプロモーションがレーベルの手薄な姿勢を招いたとして、レーベルから契約を打ち切られた。1998年には、リンクの『Sex Down』、モー・サグズの『Chapter II: Family Reunion』、M.O.P.の『First Family 4 Life』、ギャングスタ・ブーの『Enquiring Minds』、ビジー・ボーンの『Heaven'z Movie』などが続いた。

1999年、レーベルは最後のアルバムとなる、インフェイマス・シンジケートの『Changing the Game』、ティア・ダ・クラブ・アップ・サグズ名義の『CrazyNDaLazDayz』、ブートレグの『Death Before Dishonesty』、そしてクレイジー・ボーンの『Thug Mentality 1999』をリリース。その後、6月にレラティビティはレーベルとしての活動を終了した[4]。アーバン・アーティストの大半は、スティーヴ・リフキンドのラウド・レコードに移籍。以降、ラウドはレーベル運営の大半を引き継ぎ、ヒプノタイズ・マインズ、ビートナッツ、クレイジー・ボーン、M.O.P.などのレーベルおよび社内ディストリビューターとして、レラティビティの主要アーティストをRCAレコードからコロムビア・レコードへと移籍させた。ヘンチフォースは、ソニー傘下のレラティビティをラウドが買収した際に、北米ではコロムビアまたはレラティビティの配給親会社であるREDの傘下で配給する義務を負い、欧州ではエピックまたはその傘下で配給されることとなった。2002年、ラウドが苦境に陥り、リフキンドがソニー・ミュージックと問題を抱えるようになると、ソニー・ミュージックは彼をラウド・レコードから引き抜き、彼のレーベルを畳んだ。これにより、レラティビティの関連事業は、事実上終了した。しかし、REDディストリビューションは引き続き活動を続け、アルテミス・レコードなどの他レーベルの配給を行っていった。

レラティビティ・ブランドは2007年にソニー・ミュージック(当時はソニーBMG)に買収された。レラティビティの再発盤は、2017年にジ・オーチャードに合併されたREDではなく、ソニーが配給する。一方、レラティビティ以降のREDディストリビューション傘下のリリースは、ジ・オーチャードが担当するということになった[5]

脚注

関連項目

外部リンク

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