1953年5月にハワイ・レッドソックスからチームメイトの渡部満とともに近鉄パールスに入団[2]。来日時に、近鉄は首位につけており、カスパラビッチも勢いに乗って2連勝する[3]。しかし、チーム成績の下降とともに勝ち運に見放され、6勝10敗と大きく負け越した。なお、カスパラビッチの先発登板時には渡部とバッテリーを組み3勝を記録している[4]。同年限りで渡部が帰国すると、翌1954年は防御率は2.04だったが、援護に恵まれず1勝もあげられないままこの年限りで退団した。武器はドロップ、カーブ、シンカー、シュート。
真珠湾攻撃を体験していたため、日本行きは複雑な心境だったといわれている[5]。