ロイヤル・ジョンソン
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| ロイヤル・ジョンソン Royal Johnson | |
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| 生年月日 | 1882年10月3日 |
| 出生地 |
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| 没年月日 | 1939年8月2日(56歳没) |
| 死没地 |
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| 出身校 | サウスダコタ大学 |
| 所属政党 |
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| 配偶者 | Florence Thode |
| 選挙区 |
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| 当選回数 | 9回 |
| 在任期間 | 1915年3月4日 - 1933年3月3日 |
| 在任期間 | 1911年 - 1915年 |
ロイヤル・クリーブズ・ジョンソン(英語: Royal Cleaves Johnson, 1882年10月3日 - 1939年8月2日)は、アメリカ合衆国の政治家。所属政党は共和党。 1915年から1932年まで9期18年に渡ってアメリカ合衆国下院議員を務めた。
第一次世界大戦におけるアメリカ合衆国の参戦に反対し、ドイツへの宣戦布告決議に反対票を投じた。決議が可決され、アメリカ合衆国の第一次世界大戦参戦が決定されると、ジョンソンは議会を欠席してアメリカ陸軍に入隊。フランス戦線に配属され、戦後に殊勲十字章とクロワ・ド・ゲール勲章を受章した。
ロイヤル・クリーブズ・ジョンソンは、アイオワ州チェロキーで生まれた。ジョンソンが1歳の時、一家はサウスダコタ州ハイド郡ハイモアに移った。1906年にサウスダコタ大学法学部を卒業し、弁護士資格を取得。地元ハイモアで弁護士活動を行い、ハイド郡州検事補やサウスダコタ州検事総長を歴任した後、1910年にはサウスダコタ州司法長官を務めた。
1914年、ジョンソンは連邦下院議員選挙に出馬。共和党予備選ではダブルスコアで対抗馬のフランク・マクナルティを破り指名を獲得し、総選挙では民主党のウィリアム・ライスを約2000票差で抑え初当選を果たした[1]。その後、1932年選挙に不出馬を決めるまで9期連続で連邦下院議員を務めた。政界引退後はワシントンD.C.で弁護士活動を再開させた[2]。
1939年にワシントンDCで亡くなり、アーリントン国立墓地に埋葬された[2]。
第一次世界大戦
1918年、当時下院議員だったジョンソンは、第一次世界大戦に参戦し、ドイツへ宣戦布告する決議に50名以上の議員とともに反対票を投じたが、決議は可決された。ジョンソンは議会を欠席してアメリカ陸軍第313歩兵連隊に入隊し、第一次世界大戦に参戦した。1918年9月26・27日にフランスのモンフォーコンの戦い(ムーズ・アルゴンヌ攻勢)に参加した際、爆発した砲弾で負傷した。重傷を負いながらも、同様に負傷した戦友2名に付き添って後方に移動し、仲間の治療が終わるまで救急車に乗ることを拒否した。この功績により、アメリカ政府から殊勲十字章を授与され、フランス共和国からは金星付きのクロワ・ド・ゲール勲章を授与された[3][2]。
栄典
エポニム
- ロイヤル・C・ジョンソン退役軍人記念医療センター:サウスダコタ州スーフォールズにある退役軍人管理病院