ロシアのクルド人
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 総人口 | |
|---|---|
| 50,701 (2021) | |
| 居住地域 | |
| ハバロフスク, クラスノダール, クルスク[1] モスクワで10,000人(1995年時点)[2] | |
| 言語 | |
| クルド語 (クルマンジー), ロシア語, アルメニア語, アゼルバイジャン語, ジョージア語[3] | |
| 宗教 | |
| イスラム教スンナ派, ヤズィーディー, 無宗教[4][5] | |
| 関連する民族 | |
| イラン系民族 |
ロシアのクルド人(ロシア語: Курды в России, tr. Kurdy v Rossii、クルド語: Kurdên Rusyayê/Кӧрден Русйайе)は、歴史的に重要であるNIS諸国のクルド人人口の大部分を形成しており、コーカサスや中央アジアのクルド人社会とも密接なつながりがある。
19世紀初頭、当時ロシア帝国は、ペルシャとの戦争(ロシア・ペルシャ戦争 (1804年-1813年))やオスマン帝国との戦争(露土戦争 (1877年-1878年))におけるクルド人の中立を確保することを主な政策としていた[6]。19世紀初頭、トランスコーカサス地方がロシア帝国に編入された頃、クルド人はトランスコーカサス地方に定住した。20世紀に入ると、クルド人はトルコ人とペルシャ人によって迫害対象となった[3]。ロシア帝国とガージャール朝が戦争状態にあった1804年から1813年、そして1826年から1828年にかけて、ロシア帝国はクルド人をロシアとアルメニアに移住させた[3]。クリミア戦争と露土戦争(1877-1878)の間、クルド人はロシアとアルメニアに移動した[3]。1897年のロシア帝国国勢調査によると、99,900人のクルド人がロシア帝国に住んでいた[7]。
第二次世界大戦中、最も有名なソ連のクルド人のひとりに、第二次世界大戦におけるソ連の英雄とされているサマンド・シアバンドフがいる。
なお、クルド人活動家アブドゥッラー・オジャランは1998年にロシアに亡命を求めている[1]。