ダブリンで工場経営者の息子として生まれた。ダブリンのトリニティ・カレッジで学んだ。卒業後は父親の鉄工業で働いた。1932年にはアイルランド科学アカデミー会員に選ばれ、1835年からイギリス科学振興協会 (BAAS) で働いた。1838年にはアイルランド地質学会の終身会員となり、1846年から1848年には会長を務めた。1846年にアイルランド科学アカデミーで発表した論文『地震の力学』"The Dynamics of Earthquakes" は近代地震学の基礎となったと評価され、seismology(地震学)、isoseismal map、epicenter(震央)などの用語の創始者である。
1852年から1858年の間 The Earthquake Catalogue of the British Association の出版の準備を行い、地震波の砂地と岩地での伝播速度を調べる実験を行った。1857年12月16日、イタリアのパドゥーラ近くで、11,000人の犠牲者をだしたナポリ大地震が発生すると、ロンドン王立協会の資金を得て調査を行い、Report on the Great Neapolitian Earthquake of 1857 として報告した。地震の被害を写真によって記録した貴重な資料となった。1862年に2巻の Great Neapolitan Earthquake of 1857: The First Principles of Observational Seismology を出版した。火山学の分野にも Volcanic Energy: an Attempt to develop its True Origin and Cosmical Relations がある。