ロバート・リッチ (第3代ウォリック伯)
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| ロバート・リッチ Robert Rich | |
|---|---|
| 第3代ウォリック伯 | |
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| 在位 | 1658年 - 1659年 |
| 出生 |
1611年6月28日 |
| 死去 |
1659年5月29日(47歳没) |
| 埋葬 |
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| 配偶者 | アン・キャヴェンディッシュ |
| アン・チーク | |
| 子女 |
ロバート アン メアリー エセックス |
| 家名 | リッチ家 |
| 父親 | 第2代ウォリック伯ロバート・リッチ |
| 母親 | フランシス・ハットン |
第3代ウォリック伯ロバート・リッチ(Robert Rich, 3rd Earl of Warwick, 1611年6月28日 - 1659年5月29日)は、イングランド貴族。イングランド内戦では王党派を支持した(父である第2代伯爵はイングランド議会を支持した)。
ロバート・リッチは、第2代ウォリック伯ロバート・リッチと、サー・ウィリアム・ハットン(サー・クリストファー・ハットン(イングランド大法官)の甥であり相続人)の娘フランシス・ハットンの長男である[1]。1625年2月1日、チャールズ1世の戴冠式において、叔父のチャールズ・ブラントと共にバス騎士に叙せられた。
エセックスのリーズのリッチ男爵として、ロバートはヨークでチャールズ1世に合流したが、武器を携えることはなかった。議会から課せられた罰金は、父の嘆願により免除された[2]。
第2代ウォリック伯であった父は1658年4月に亡くなり、ロバートは伯位を相続した。ロバートは1659年5月29日に亡くなり、エセックスのフェルステッドに埋葬された。唯一の息子であるロバートも、約2年前に結核で亡くなっていたため[注釈 1]、伯位は弟チャールズに継承された[2]。
家族

ロバートは1632年4月9日、サリーのバタシーで、第2代デヴォンシャー伯ウィリアム・キャヴェンディッシュの娘、アン・キャヴェンディッシュ(1611年頃 - 1638年)と結婚した[2]。二人の間には1男が生まれた。
- ロバート(1634年 - 1658年) - 1657年に護国卿オリバー・クロムウェルの娘フランシス・クロムウェルと結婚したが、結婚から3ヶ月後の1658年2月16日に結核で亡くなった。子供はいなかった。未亡人となったフランシスは第3代準男爵サー・ジョン・ラッセルと再婚した。
ロバートは、従妹のアン・チークと再婚した。アン・チークはサー・トマス・チークと叔母エセックス・リッチ(初代ウォリック伯ロバート・リッチの娘)の娘であった[2]。2人の子供は以下の通りである。
- アン - エセックスのバリントン・ホールのトマス・バリントン(第3代準男爵サー・ジョン・バリントンの長男で相続人、父親より先に死去)と結婚
- メアリー(1678年没) - 1673年12月11日に初代シンジョン子爵ヘンリー・シンジョンと結婚し、唯一の息子であるボリングブルック子爵ヘンリーを産んだ。
- エセックス - 1674年6月16日に第2代ノッティンガム伯ダニエル・フィンチと結婚